若年の居場所

 「言語化」って言うな!?

■年度末、恒例の「居場所合同研修会」に参加した。今回のテーマは「協働」。これまでともに研修に努めてきた三つの居場所で、「協働」可能なことはないか、具体的に検討することがひとつの課題だった。当然ながら「協働」が成功するための必要条件は、関与す…

 「主体としてとどまる」という選択。

■先日、山形県労働相談センター(山形県労連)にて、相談員の方々と「若年支援」をテーマに懇談する機会があった。昨年末には「フリーター労働相談110番」を開催するなど、若年労働支援に関し独自の取り組みを行っている方々であるということは以前より知…

 「待つ」とは何であるか。

■不登校・ひきこもり等の悩み語りに対する紋切り型の返答パターンに、「待て」というのがある。いたずらに登校刺激ばかり与えるのではなく、当事者であるその人の悩みや葛藤や迷いや逡巡を、その過程とそこでの試行錯誤とを尊重し、腰をすえてその人の成長に…

 「多様性の空間」としての居場所。

■日常的に「居場所」なるものを運営していて、訪問者にとってそこが居心地のよい敷居の低い場所であるために、わたしたちが気をつけていることのひとつに「リベラルであること」というのがある。「リベラルである」とは、他者に危害を加えない限りにおいて、…

 居場所の「シャドウ・ワーク」

■「居場所の運営」などというと、どうしてもスタッフの関わりだとかその振舞いかただとか――それが大事なのはもちろんだが――そこばかりに意識が向いてしまいがちで、その「スタッフ‐利用者」関係、あるいは「スタッフ‐スタッフ」関係の記述ばかり積み重ねてし…

 言語化すること、共有してもらうこと。

先日、山形市内において、半年ぶりに「“若年の居場所”合同研修会」を開催した。福島、会津、山形で活動する三つの居場所のスタッフと研修生と、合計10名が参加。久しぶりの再会は、何だかちょっと感動的でさえあった。「人材の過剰消耗」問題の渦中での半…

 「接続する」という技法。

■先月に引き続き、当事者の親の会での講演の場でのやりとりの中から話題を提供したいと思う。私を講師として呼んでくれた親の会が活動するその地域には、(不登校・ひきこもりなどの)子ども・若者たちが利用可能な居場所が身近に存在していない、とのこと。…

 「誘惑する」という技法。

■先日、とある当事者の親の会にお招きいただき、居場所に関する学習会で講師を勤めさせていただく機会があった。ぷらっとほーむにはそもそも「親の会」という概念そのものが存在しないので、「親」あるいは「親の会」という立ち位置にある人びとと対話をする…

 動き出す世界、回り出す居場所。

居場所づくりに関与していると、「不登校・ひきこもり」に言及する場面に頻繁に遭遇するのだが、そこで「通説」めいたものとして時おり語られるこんなネタがある。それは、「居場所に新規の子ども・若者たちが入会しに来る時期でいちばん多いのが、5月の連…

 「スタッフの消耗」問題をこえて。

かつて、「言語の貧窮」こそが「居場所」関係者(もっと言うと、若年支援系NPO)の抱える課題ではないかと述べた。「言語の貧窮」とは、活動の当事者たち(自分らをも含む)が自らの行為――「居場所づくり」や「若年支援」――の意味や価値、それが社会的に…

 〈他者〉と繋がり合う居場所のために。

年度がかわり、メンバーそれぞれの立ち位置や境遇にさまざまな変化があったり、または新しいメンバーが増えたりと、わたしたちの居場所にも「新しい風」が吹き始めたような、そんな今日この頃である。居場所の内実とは、結局のところ、そこに集う「人」にす…

 素人による、素人のための居場所づくり。

ご存知の通り、ぷらっとほーむでは自らの行う「居場所づくり」を、次のように定義している。すなわち、「教育の専門家」の手によるものでも、「こころの専門家」のそれでもないもの、換言するなら、それは「素人による、素人のための居場所づくり」というも…

 居場所づくりは終わらない。

先日、福島・山形で活動する居場所づくりの仲間たちが開催した合同研修会に参加してきた。研修会は今回で四回目。一年前も書いた通り、自分たちの活動を振り返ることのできる稀有な機会であるということと、同じような活動に取り組む同世代と久しぶりに会え…

 距離=言語を獲得せよ!

■フリースペースの運営や居場所づくり活動の現状をめぐって、常々感じてきたことがある。それは、(自分たちも含め)この業界における圧倒的な「言語の貧窮」という事態である。「言語の貧窮」とは、自分たちが実現しようとしている公共性を伴った価値が何で…

 氾濫する「コミュニケーション」。

最近至るところで、「コミュニケーションのすすめ」的な煽り文句を耳にするようになった。「こころの交流」や「ふれあい」、「こころの理解」といった語彙がそうだし、「相手の気持ちを思いやれ」とか「場の空気を読め」とかいった言説もそれに含まれるだろ…

 「カウンセリング」という思考停止。

繰り返しになって恐縮だが、私は「カウンセリング」というものが嫌いである。もちろん、居場所づくりの活動において「カウンセリング的な技法」を用いる場面がなくはないわけで、それらを全否定する気などまるでない。だが、それでもそれ――相手のはなしをち…

 「フリーター問題」という問題。

先月に引き続き、若年情報誌『これが わたしの、いきるみち。』の出版に関する活動報告――教育研究山形県集会「評価・選抜制度と進路保障」分科会での事例発表や東北公益文科大学の授業「教育と公益」でのゲスト講義――の機会が続いた。若年の生きかたという最…

 若者たちの居場所づくり

居場所づくりという方法 地方都市の山形で、若年世代自身の目線から、子ども・若者たちの居場所づくりの活動に携わるようになって4年目になる。若年の居場所づくりと言うと、不登校・ニート・ひきこもりなど、社会的弱者とされる若年だけを対象とした活動と…

 わたしたちのスタートライン。

最近、若年情報誌『これが わたしの、いきるみち。』出版(とその延長の諸々)にまつわる企画――公開シンポジウム「山形vs若モノ 〜地域づくりフォーラム〜」や山形地区教育研究集会「進路指導を考える」分科会での事例報告――が続いた。身近な若年の具体例…

 現実のつくりかた。 

フリースペース(居場所)運営というあまり例のない活動をしていたりすると、時折、メディアの取材を受ける機会がある。某テレビ局の取材を受けたときの話だ。その記者いわく、「フリースペースで行われている支援が、不登校やひきこもりの子どもたちに直接…

 オルタナティヴであるとはどういうことか。

やまがたの若年のオルタナティヴな生きかたに関する事例を取材したインタビュー誌『これが わたしの、いきるみち。』を3月に上梓して以来、さまざまな取材に応じる機会があった。そのなかでよく聞かれた質問に次のようなものがある。「インタビュー対象とな…

 「価値中立」という名の思考停止。

ぷらっとほーむの運営は、その価値に賛同し共鳴して下さった数多くの心ある人々による、財政的な支えを得て行われている。利用者がより利用しやすくなるよう、財政基盤を整えていくためには、そうした支援者の裾野を広げていく必要があるわけで、そのために…

 居場所の効用とは何か?

季節がめぐり、ぷらっとほーむに集う子ども・若者たちの顔ぶれも一年前とはずいぶん変わった。かつてこの居場所を利用していた子ども・若者たちのある者は学校に復学/進学し、また別の者は新たな職場でがんばっている。継続の利用者たちも、それぞれのペー…

 《居場所》ノキオク。

フリースペース(居場所)運営というNPO活動に関与するようになって、早くも四年目に突入してしまった。フリースペース/フリースクールというと、「こころの専門家」みたいに誤解される場面も多くて、いいかげんうんざりしている。他はどうあれ、ぼくは…

 「はじまりの居場所」のためのレクイエム

山形市でフリースペースを運営している身として、言及を避けられない大きな出来事があった。県内初の民営通所型フリースクールとして2001年に開設されたフリースペースSORA(2003年度よりフリースクールSORAと改称)が、この6月で活動を停…

 リベラル/スローであるためのレッスン

前回は、自分らがなぜ居場所を他の仕事と「兼業」しているのかについて述べた。繰り返すがそれは、「兼業」しているスタッフの姿、すなわち複数の「仮面」を状況に応じ使い分けるという私たちの生のありようを、利用者の子ども・若者たちに具体的に示すこと…

 私たちが居場所を「兼業」する理由。

総会も無事終了し(会員の皆さまありがとうございました)、ホッとしてやや気が抜けているところである。自分たちの生計をNPO事業だけで支えていくだけの財政基盤/能力は現在の「ぷらっとほーむ」には備わっていないので、例年どおりの「2(n)足のわ…

 『これが わたしの、いきるみち。』

「自由なライフスタイルとかあなただけのかけがえのない人生とか人は言うけれど、そんなものは(都会でもない)山形じゃどうせムリだし、(権限も資金もない)若い世代にはできるわけがない。だから、私たち山形の若年世代には年長世代の敷いたレール(良い…

 私たちのなかの壊れていない部分

先日、福島県内の2つのフリースクール/フリースペースと合同で行っているスタッフ研修会に参加するために、猪苗代まで行ってきた。2年前からそれぞれの自発性を前提に行ってきた自主研修会で、今回が4回目になる。わたし個人としては、フリースペースS…

 汚れた社会の中心で愛を叫ぶ。

前々回の脱線空間にて、無意味で、非生産的で、下品で、しかもバカバカしい、そんなコミュニケーションが日常化しているぷらっとほーむでのありかたとその根拠となる考えかたについて記述した。簡単に言えば、生産性や意味を求められるコミュニケーションが…