2002-01-01から1年間の記事一覧

 フリースペースと「学力低下」?

学校現場への完全週休二日制や新学習指導要領の導入からもうすぐ一年、巷ではいよいよ「学力低下」への不安や批判の声が大きくなってきているように感じる。だからであろうか、フリースペースSORAに対しても次のような批判をいただいた。すなわち、「学…

 「わかりやすさ」ということの陥穽。

前回のテーマとも関連するが、私は、フリースペース(あるいは不登校)について語るための言葉が、「こころ」をめぐる語彙やロジック(心の病や歪みを治しましょう)のみに覆い尽くされてしまうことに危惧を覚えている。そうした画一的な語りは、私たちが自…

 フリースペースは「こころの専門機関」であるか?

フリースペースを運営していると、さまざまな場面で、不登校「問題」に取り組んでおられる学校の先生方やカウンリングなど「こころの問題」にたずさわっておられる方々と話す機会がある。他者とコミュニケートしたり対話したりすると、図らずもお互いがそれ…

 ぼくはいったいなぜ、フリースペース活動に関わっているのか?

「不登校の子どもたちの居場所づくり」ということで、フリースペースの企画運営にかかわり始めてから、早いものでもうすぐ2年がたとうとしている。活動を始めた当初から、代表である自分に対し投げかけられ続けてきたある問いがある。それはこういうものだ…

 フリースペースにおける動機の調達について

前回、SORAにおいて子どもたちを迎え入れるスタッフは「教育」や「指導」のような学校的な身振りを採用していないのだということやその根拠と意味について述べたが、その最後で、「指導」を回避することの効用に関して、「あえて“指導=教育”を行わない…

 居場所づくりの現場から 〜フリースペースの活動から見えること〜

不登校の子どもたちの居場所づくりとして活動をスタートさせたフリースペースSORA。開設して二年目に入った現在では、まったく学校に行っていない子たちのみならず、普段は学校に通っている子や就職して働いている子なども集まってくる、子どもたちの出…

 「指導=教育機関」としてのフリースペース?

SORAで活動しているとよく、「センセイ」と呼称される場面に出会う(その大半は、教育関係者からのものだ)。この言葉には「SORAのスタッフ=教育・指導に従事している者」という前提があるように思う。確かにそういう捉え方がSORAの内部にも全…

 フリースペースと“速さ/遅さ”について

フリースペースSORAとは何かについて、はじめての人に語る際に必ず説明するよう心がけていることがある。それは、SORAでは、フリースペースという場にいる子どもたち1人1人の時間感覚やペースを最大限尊重する構えをとっているということである。…

 フリースペース運営と発言権/決定権について

フリースペースSORAの開設・運営に携わってきて1年がたった。身近にモデルも前例もなく、すべて手探りの試行錯誤の中で積み上げてきたのだが、これまで積み上げてきたものをこの辺りで一度、きちんと分析し批評し位置付けする必要性を感じてきた。今回…

 フリースクールスタッフ養成研修講座「フリースクールの創り方」参加報告

2月23日、24日の二日間にわたり、NPO法人フリースクール全国ネットワーク主催のフリースクールスタッフ養成研修講座「フリースクールの創り方」が東京で開催され、フリースペースSORAからは研修および交流のためスタッフの滝口が参加した。山形…

 「癒し」としてのフリースペース

不登校の子どもたちが安心して生活し成長していけるような居場所をつくるという目的のもと、私たちが活動を始めてもうすぐ一年がたとうとしています。4月には県内初の通所型フリースペースとして「フリースペースSORA」を開設し、現在までに10数名の子…