ぼくはいったいなぜ、フリースペース活動に関わっているのか?

不登校の子どもたちの居場所づくり」ということで、フリースペースの企画運営にかかわり始めてから、早いものでもうすぐ2年がたとうとしている。活動を始めた当初から、代表である自分に対し投げかけられ続けてきたある問いがある。それはこういうものだ。「なぜ(不登校経験があるわけでもない)あなたが、そのような活動にたずさわっているのか」と。そこでは暗にこう言われているのだと思う。「経験もない(=不登校を理解できない)あなたに何ができるのか」と。確かにぼく自身は、不登校の経験もひきこもりの経験もない。ついでに言えば、カウンセリングやら児童心理やらを学んだ「こころの専門家」でもない。つまりぼくは、「何もわかっていない奴」であるということになる。そしてそうであればこそ、疑問はさらに深まるらしい。
実のところ、なぜ自分がこのフリースペースというものに関わろうと思ったのか、そしてなぜそうした活動をさまざまな苦労や責任や面倒を背負い込んでまで続けようとしているのかは、自分自身にとってもまるで自明ではない。そんな感じだから、「なぜ?」という例の問いかけは、ぼくには正直苦痛だったりもした。はじめのうちは、「学校での不登校対策のありように納得がいかなかったから」とか「実は講師時代自分も不登校予備軍だったから」とか、ありきたりの「わかりやすい」答えでお茶を濁してきた。だが、そうした紋切り型の受け答えをしながらも、自分のなかで、自分自身に対する「なぜ?」をごまかせなくなってきていた。そろそろきちんと自分と向き合って、自分なりの答えを見つけなきゃいけない。そう思った。
大学卒業後2年間勤めた学校という職場に対する違和感というのは全くその通りだ。だが、ぼくは在任中不登校問題に深くコミットしたことはない。関心がなかったわけではない。しかし、自分が関与すべき問題だという認識はなかった。だとすれば不登校という要素は、ぼくがフリースペースに関与し始めた主要因ではまるでない。正直いうと、「学校」という、そして「指導」という違和感だらけの労働から抜け出せるなら何処でもよかったのだと思う。たまたま新聞記事に「山形でフリースクール開設」の文字を見つけて、活動の輪の中に無我夢中で飛び込んだ。それだけだ。これが、ぼくがフリースペース活動に関与し始めた理由。「学校」やそこでの「指導」に違和を感じたときに、それについて本音で語れる場がなかったのだ。そこ以外には。
つまりはこういうことだ。学校の中に居場所を見出せなかった当時のぼくは、ありのままの自分で居られる居場所や本音で語れる仲間たちを強烈に欲していた。そしてそれを(まったく幸運なことに)フリースペースというかたちでの居場所づくりをすすめていた人たちのなかに見出したのだった。学校という職場で孤独に苦悩していた自分が、ここではありのまま受容され一個の人格として尊重される、ということの貴重さ。それを、ぼくはこのフリースペース活動を通して、自分自身において体験した(そして今もしている)わけだ。だとすれば、先の「なぜ?」に対する答えは次のようになろう。「それは、そこがぼく自身にとっても居場所であるからだ」と。これが現時点でのいちばん正直な想いということになろうかと思う。
そう考えると、最初に述べた「(不登校・ひきこもり経験もない)わたし」という自己像に修正が生じる。確かにぼくには不登校経験もひきこもり経験もない。経験者として内側からそれらについて語る資格はぼくにはない。しかし、「居場所に癒された経験」はあるわけだ。だとすると、居場所(=フリースペース)の経験者として語る資格は、少なくともぼくにはあることになる。しかもその癒しは、何も不登校の子どもたちやひきこもり青年にのみ該当するものでは決してない。それは、どこかで生きづらさを抱えていたり、違和を感じていたりするような、つまりはどんな人にでもあてはまるものであろうと思う。だとすればなおさら、不登校でもひきこもりでもない自分のような者が居場所について語ること(そして実践していくこと)にこそ、意味があるのかもしれない。そんなふうに、フリースペースという居場所が、不登校やひきこもりといった人たちだけでなく、学校や労働などの現実からちょっと離れたい人や同じような思いの誰かと話したい人、仲間や友達と出会いたい人など、社会の中で生きづらさを抱えるどんな人にとっても具体的な選択肢としてイメージしてもらえるような、そんな存在になっていけばいいと思う。*1

*1:フリースクール西の平通信』2002年10月25日 No.39