社会学への自由、社会学からの自由。
■とある区切りにさしかかりつつあり、それは「ぷらほ」のこれからとも無関係とはいえないことであるため、私事ではあるが、それについて書いてみたい。思えばこの10年余、自分はずっと社会学というものに縛られ続けてきたように思う。最初の出会いは、1999〜2000年にかけて県立高校に勤務していたころだ。まだ割とナイーブだった当時の私は、「新しい学び」やら「教育改革」やらに過大な期待を抱いており、それらとかけ離れた職場の現実にかなり戸惑っていた。
■「職場の現実」と言っても、生徒の人びとのありようが自分にとって衝撃だったわけではない。なかなか受容できなかったのは、教師の人びとのふるまいのほうだった。「指導」と称して生徒の人びとに暴力やハラスメントを行使する人たちが普通にいることやそれを誰も問題だと思っていないこと、自分たちの狭い世界を「社会の標準」だと信じきっていること、しかもあろうことかそれを生徒の人びとに強要してさえいること等など、すべてが自分には意味不明だった。
■そんなとき、学校文化や教師文化がなぜそのようなものであるのかについての説明の語彙を提供してくれたのが、社会学という知の装置なのであった。今思えば、当時カウンセリングや各種セラピー、宗教など、「こころ」に照準する貧困ビジネスに手を伸ばさずにすんだのは、同じ機能を社会学によって代替できたからに他ならないと思っている。かくして私は、自分を取り巻くさまざまな社会の理不尽をめぐる説明を求めて、のめりこむように社会学に惹かれていった。
■だが、文献を読めば読むほど、自分が「社会学の素人」でしかないという事実が明らかになってくる。社会学の文献を読んでいるといっても、好きなものを好きなように摂取しているだけなので、自分のものの見かたや考えかたを修正するよう迫られるようなことにはならないのである。それでは無意味だ。他者としての社会学と、きちんと出会わなくてはならない――このような思考の果てに、私は2度目の大学院入院を決めた。6年半前のことである。
■そして6年。先日何とか無事に修士論文を完成させ、自分なりの社会学の作品をひとつ産出した。書き終えてみて感じるのは、これでようやく「専門は社会学」と表立って言えそうだ、ということ。自分ならではの作品を、自分として納得のいくかたちで創りあげるということをしたからこそ、「社会学徒としての自分」みたいなアイデンティティの構築が可能になったのだと思う。これでようやく、社会学から自由になれそうだ。さて、これからどこに行こう?*1
*1:『ぷらっとほーむ通信』107号(2012年3月)
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