「誘惑する」という技法。

■先日、とある当事者の親の会にお招きいただき、居場所に関する学習会で講師を勤めさせていただく機会があった。ぷらっとほーむにはそもそも「親の会」という概念そのものが存在しないので、「親」あるいは「親の会」という立ち位置にある人びとと対話をするという機会それ自体が極めて希少。ゆえに、普段は気づけない「当事者の親」という立ち位置ならではと思われるさまざまな価値前提の存在を知ることができ、非常に有意義であった。
■そこでさまざまな質問をいただいた。居場所にはどんな人が通い、どんな過ごしかたをしているか。彼(女)らはどういう経緯で居場所にたどりついたか。居場所以外に外界との接点をもっているか。もっているとすればそれは何か。「ひきこもり」のわが子との関係づくりはストレスがたまるがどうすればよいのか。なぜ居場所づくりなんかやっているのか等々。特に興味深かったのが「外界と接点をもとうとしない息子を居場所に通わせるにはどうすればよいのか」という質問である。
■まずは「本人が望んでいないことを強制する」なんて誰にもできない、という前提を確認しておこう。居場所を利用するか否か/いつ利用するかは、その人の任意だ。とはいえ、もし彼(女)が、自らの状況を変えるための選択肢すら知らずに、現在の状況に苦しめられているのだとしたら、まずは彼(女)が自己決定できるための環境条件を整えてやらねばならない。「選ばない」のはその人の内面に属する問題だが、「選べない」のは、その人の置かれた環境の側の問題だからである。
■そもそも彼(女)はなぜ「選べない」のか。それは、「選ぼうという気になる」だけの選択肢(へのアクセス)がないからである。とすれば、環境条件の整備という点で、親に可能なのは次のことだ。すなわち、今は本人が必要としないかもしれないけれど、必要になったらタイミングよく選択肢を提供できるよう、親の側で利用可能な社会資源について情報収集しておくこと。自らそこに足を踏み入れ、その場にある価値を自分で体感し、言語化できるようになっておくことが望ましい。
■なぜ「体感」や「言語化」にこだわるか。それは「誘惑する」ためだ。自分が感じた面白さや価値を、自らの言葉で伝え、その面白さへと感染させること。強制の語彙(あなた、必ず行きなさい!)ではなく、誘惑の語彙(わたし、すごく面白かったよ!)を。その魅力やそれをめぐる感動が伝われば、人は「強制」などなくても自然に動き出す。そう考えると、先の質問への最終的な答えは次のようになろう。「まずはあなたが、存分に居場所の価値を享受してください」と。*1

*1:『ぷらっとほーむ通信』029号(2005年9月)