居場所の効用とは何か?


季節がめぐり、ぷらっとほーむに集う子ども・若者たちの顔ぶれも一年前とはずいぶん変わった。かつてこの居場所を利用していた子ども・若者たちのある者は学校に復学/進学し、また別の者は新たな職場でがんばっている。継続の利用者たちも、それぞれのペースで自らの歩みを着実に進めている(ように見える)。彼(女)らに加え、新規利用者の子ども・若者たちを迎え、昨年度とはまた違った個性の風が吹き始めた――そんなことを日々の活動の中で感じている。
こんなふうに語ると、「フリースペース開設の目的=学校/職場復帰」とも受け取られかねないが、それは誤読である。私たちの目的は、一言でいうと「居場所を見出せない子ども・若者たちのための居場所づくり」だ。誰もが気軽に集い、ありのままの自分で過ごせる居心地のよい空間を設計するということ。その空間で各自が何を求め、何を獲得するかは、利用者ごとのニーズに任される。それは、私たちスタッフが上から一律に決め得ることではないからだ。
つまりはこういうことだ。ある者にとっては「学校/職場復帰」が居場所利用の動機になり得るし、別の者にとっては「脱学校性」が居場所利用の根拠にもなり得る。居場所のニーズは、それを利用する当事者ごとに異なる。居場所という空間/時間にいかなる実質を盛り込むかは、まさに十人十色。とすれば、私たちスタッフがなすべきは、個々の利用者がそこで何を実現してもかまわないという自由――何もしない自由も含め――をしっかりと保証してあげることだ。
何をしても、何もしなくともよい自由が保障された時間/空間とは、「ありのままの自分」でいられるということを意味する。各自の「ありのまま」を許容するとは、それぞれの「遅さ」や欲望の多様性を認め合うこと。家庭や学校、社会の強要する速度に傷つき、そこから疎外された子ども・若者たちに、そうしたスローな時間/空間(とそこでの試行錯誤)を十分に保証してあげること。そこから動機や欲望が回復する過程に他者としてただひたすら寄り添うということ。
この、一見すると迎合とも受け取られかねない居場所での関わり――「遅さ」を認め、それに寄り添うこと――が、なぜ彼(女)たちの回復のきっかけになり得るのであろうか。それは、私たちスタッフが徹底して彼らの動機や欲望の回復を信頼しているからではないかと思う。信頼しているからこそ、失敗を含んだ試行錯誤をも温かく見守ることができるし、その緩やかな過程をともに歩むことができる。若年を信頼するということ、これが私たちの前提なのだ。*1

*1:『ぷらっとほーむ通信』016号(2004年08月)