素人による、素人のための居場所づくり。


ご存知の通り、ぷらっとほーむでは自らの行う「居場所づくり」を、次のように定義している。すなわち、「教育の専門家」の手によるものでも、「こころの専門家」のそれでもないもの、換言するなら、それは「素人による、素人のための居場所づくり」というものだ。これはもちろん「謙遜」ではないし、卑屈になってそう言うのでもない。文字通りの意味でそうなのだ。現に私たちは、自らの方法の基盤や根拠を「教育学」または「心理学」のような専門性には置いていない。

こんなことを言うと、「居場所の欠如」に切実に悩む当事者たちの存在を前にそんな悠長なことでよいのか、等と疑問に思われるかもしれない。現に私たちは、しばしばそういった類の難詰や言いがかりに遭遇する。すなわち、「苦しんでいるひきこもり当事者をどうして積極的に助けないのか(=訪問カウンセリングをなぜやらないのか)」、「相談を求める人たちをなぜ積極的に受け付けないのか」、「なぜ居場所開設は週3日だけなのか(=なぜ1週間全て開設しないのか)」などなど。

それらのどれも、私たちなりの理念や根拠に基づいて選択的にそうしていることなので、疑問にひとつひとつ丁寧に答えていってもよいのだが、ここでは「あえて」そうしない。代わりに、私はこう言おう。すなわち、もしそう思うなら、本気でそう思う情熱や動機があるのなら、ぜひあなたがやればよい、と。そんなことできるわけがない? 私は専門家でもないし、生活だってある? いいや、そんなことは問題ではない。現に、非専門家の、生活もある私たちだってやれているからだ。

詳述しよう。私たちが「専門家ではない=素人である」ということに執拗にこだわるわけが、実はそこにある。「素人である」とはつまり、特殊な資格や肩書き、特別な資本や資産がなくても、それらを前提とせずとも(居場所づくりは)可能だということ。つまり、「素人による居場所」を標榜しそれを実践することで、私たちは、「居場所」の効用や機能を、狭義の「居場所」の枠(=専門家の領分)内から解放し、「誰にでも担い得るもの」として位置づけ、意味づけようと考えている。

長期的に見れば、「居場所(機能)」は、地域・社会のなかにもっともっと拡充されて然るべきだ。そのためには、そうした役割の担い手を増やしていくしかない。長期的な「居場所(機能)」の拡充を地域レヴェルで考えるなら、自分らにしかできない「特殊モデル」として「居場所づくり」の実践ではなく、誰にでも応用可能な「汎用モデル」としての「居場所づくり」という方向性こそが必要なのである。「素人による居場所づくり」は、まさにそこに照準しているのである。*1

*1:『ぷらっとほーむ通信』025号(2005年5月)