高校受験社会・公民(2)基本的人権と日本国憲法 その1

憲法/人権/市民革命について: 前近代においては王権が人びとを好き勝手に支配し、気に食わない者を処刑したり追放したりしていた(これを絶対王政という)。ところが、人びとは経済力を獲得するにつれ、市民(人権を有する存在)としての意識を高め、やがて人権侵害を行う王権に対して、力づくで「人権を守れ!」と要求するようになった(これが市民革命)。よって、これ以降の国家(近代国家)は、市民からの「人権を守れ!」という命令(これを文書化したものが憲法)に適う範囲で、市民に対するサービスを提供する機関であることを期待されるようになる。
憲法の位置づけ: 対峙する政府(国家権力)と市民(国民)との関係において、国民(市民)から政府(国家権力)への命令が憲法であり、政府(国家権力)から市民(国民)への命令が法律である。国民主権原則により、市民(国民)の命令である憲法が、政府(国家権力)の命令である法律よりも優先される。当然ながら、市民(国民)には「憲法違反」はできない。
■人権思想/市民革命/憲法制定の歴史: 大西洋の周りで、イギリスを皮切りに反時計まわりに人権思想/市民革命/憲法制定の動きがおこる。イギリス革命(ピューリタン革命1642-49+名誉革命1688-89)、アメリカ独立戦争(1775-83)、フランス革命(1789)の順番。人権/憲法が生まれる前提として、市民による戦争や革命が存在。
名誉革命権利の章典: イギリスにおける市民革命に際して、市民からの「人権を守れ!」命令を文章化したものとして、権利の章典(1689)が出される。革命の成果である人権思想をまとめたのが、ロック『市民政府二論』。
アメリカ独立戦争アメリカ独立宣言: イギリス植民地だったアメリカの人びとによる市民革命に際して、市民からの「人権を守れ!」命令を文章化したものとして、アメリカ独立宣言(1776)が出される。
フランス革命とフランス人権宣言: フランスにおける市民革命に際して、市民からの「人権を守れ!」命令を文章化したものとして、フランス人権宣言(1789)が出される。革命に影響を与えた人権思想本がルソー『社会契約論』(人民主権を主張)とモンテスキュー『法の精神』(三権分立を主張)。
第一次世界大戦とワイマール憲法: 第一次世界大戦後のドイツにおいて、旧ドイツ帝国の貧富格差拡大が軍国主義の原因として反省され、二度とそうならないための貧困対策として、市民に社会権(貧困から脱する権利)を保障するワイマール憲法(1919)がつくられる。
第二次世界大戦と世界人権宣言: 第二次世界大戦への反省からつくられた国際連合の総会において、世界人権宣言(1948)が採択される。がしかし、これはあくまで宣言であり、法的拘束力をもたない。ゆえにその後、より実効的で法的拘束力をもつ国際人権規約(1966)が採択される。ただしこれも包括的な規約ゆえ、個別の差別問題については、個別の条約が結ばれていくことになる。例えば、人種差別撤廃条約子どもの権利条約女子差別撤廃条約など。各国は、こうした条約を批准するにあたり、条約の内容と矛盾しないよう、国内法の改正を行う。日本の場合で言うと、女子差別撤廃条約批准のための国内法整備という文脈で制定されたのが、男女雇用機会均等法(1986)。
大日本帝国憲法日本国憲法: 大日本帝国憲法(1889制定)の特徴は、天皇主権、臣民の自由、そして軍国主義。主権者ならざる臣民は、法律の(天皇が決める)範囲内で、自由を認められる。一方、日本国憲法(1946/11/3 公布、1947/5/3 施行)では、国民主権基本的人権の尊重、平和主義(憲法前文ならびに9条に明記。戦争放棄=戦力不保持+交戦権否定)が3大原則となる。
日本国憲法改正手続: 主権者たる国民の代表である国会議員(国会)による発議(衆議院参議院の総議員の2/3以上の賛成でOK) → 主権者たる国民による国民投票過半数の賛成でOK。詳細については国民投票法で規定) → 天皇が国事行為の一環として改正憲法を公布。