センター倫理(4)工業化社会から情報化社会へ

■農村社会から工業社会へ: 前近代の農村では顔見知りの人びとの間での濃い人間関係が基調。使用するモノも自分の顔見知りがつくっていた。ところが、工業化の結果、多くの人びとは見知らぬ他人たちが集まる都市空間=大衆社会で暮らすようになる。そこでは、人びとが使うモノもまた見知らぬ誰かがどこかでつくったもの。こうした匿名性にまつわる不安が、マス=メディアの発達を促した。また、大衆社会を効率的かつ合理的に管理する手法として官僚制が発達していった。
大衆社会におけるマス=メディアの機能: 商品宣伝がマス=メディア(新聞、雑誌、ラジオ、テレビ)の本質。都市空間に生きる大衆の不安を、商品情報の提供によって慰撫する。人びとは故郷や伝統からの切断によるアイデンティティの不安を、消費(=それ自体が大衆的な身振り)により埋め合わせるようになる。こうして、大量生産・大量消費社会の歯車を回転させる潤滑油の役割を、マス=メディアが果たすようになる。
■官僚制(ウェーバー): 指揮・命令系統を明確にし文書で管理するという集団運営の技法=官僚制が、大衆社会の人びとの生産や消費をより効率的に管理するために採用されるようになる。軍隊や官庁、企業などがこれを活用。しかし、一方でこの装置は、人びとを組織の歯車として疎外するため、かえって非効率になるという逆説もあり。
■他人指向型(リースマン): 大衆社会の人間類型。大衆社会(匿名の他者の群れ)に生きる現代人は、孤独感から他者に同調したがる傾向をもつ。前近代の身分社会の人びとが伝統や慣習に服従し、近代社会(19世紀)のブルジョワたちが自己の内面の規範に従うのに対し、現代社会(20世紀)の大衆たちは周りの人びとに同調する。
■インターネットのインパクト: マス=メディアの前提は、ごく一握りの人びと(新聞社、放送局、テレビ局、出版社など)が不特定多数の人びとに対し、正しい知識や情報を一斉に流す、という一方向的なありかた。これに対して、インターネットのインパクトは、誰もが情報を発信したり受信したりできるという双方向的なありかたにあった。ところが、誰もが情報発信可能ということは、その情報の中にインチキなものも含まれているということを意味する。ここから、玉石混交の中から正しい情報を見分けたり、それらを適切に用いたりする能力としてのメディア・リテラシーが求められるようになる。
■情報化社会の到来: 社会が豊かになり、大量生産・大量消費されるモノ(耐久消費財)が人びとの間にひととおり行き渡るようになると、モノそのものというより、モノに付随する情報のほうに商品価値の中心が移るようになる。モノではなく情報に価値を見出す社会=情報化社会の到来。こうした社会では、価値のもとである情報を一部の機関が占有していることや見知らぬ他人に自分の個人情報を勝手に利用されることなどが問題となり、前者については知る権利、後者に関してはプライバシーの権利の保護などが求められるようになる。