高校受験社会・歴史(2)中世の日本 その1

■中世日本の流れ: 天皇(その政府が朝廷/西国)と将軍(その政府が幕府/東国)とが並立し拮抗する時代。鎌倉時代には幕府(鎌倉)が覇権を握り、次には、その幕府を倒した後醍醐天皇(京都)が公家優遇政治=建武の新政を行う。これが武家の不満を生み破綻した後は、足利氏が室町幕府(京都)を開府。幕末、京都での内乱=応仁の乱を機に戦乱が全国に波及。戦国時代が到来し、中世権力の二極構造は解体。
鎌倉幕府の支配のしくみ: 中央政府=侍所(御家人とりまとめ)・政所(行政のしごと)・問注所(裁判のしごと)/地方統治=地頭(荘園の徴税)・守護(諸国の警護)。
封建制度: 将軍が土地を仲立ちとして御家人と主従関係を結ぶ。将軍は御恩として土地や収入を御家人に保証し、代わりに御家人は将軍に対して奉公として軍事奉仕を行った。この結合関係の網の目(=封建制度)を広げていくことで、鎌倉幕府は各地の武士たちを支配した。
■東国政権から全国政権へ: 承久の乱以前は、鎌倉幕府はあくまで東国政権。承久の乱後鳥羽上皇(朝廷)の反乱鎮圧を機に、鎌倉幕府は京都や西国への支配を強めていく。その拠点になったのが、承久の乱鎮圧後に京都に置かれた鎌倉幕府の朝廷監視機関・六波羅探題鎌倉幕府が全国政権になるにおよび、東日本と西日本に共通する裁判の基準が改めて必要となり、御成敗式目が制定されることになる。
元寇鎌倉幕府衰退: 封建制度のコードに従い、御家人らが元軍の撃退に貢献。しかし防衛戦という性格上、新たな領土獲得はなく、幕府は御家人に新たな恩賞を与えることができない。ただ働きになってしまった御家人が経済的に窮乏し没落。永仁の徳政令も効果なし。これにより幕府の軍事システムは破綻、後醍醐天皇(朝廷)と結んだ悪党(反幕府の武士)らにより滅ぼされる。
■鎌倉期の社会: 西日本で二毛作、牛馬耕、草木灰などが普及。村落共同体ごとの余剰生産物が共同体と共同体の境界に位置する寺社の門前などに集められ、定期市が開かれるようになる。
鎌倉文化: 素朴で力強い、武士の気風を反映した文化。琵琶法師『平家物語』/藤原定家新古今和歌集』/鴨長明方丈記』/吉田兼好徒然草』/運慶・快慶「東大寺南大門金剛力士像」など。
■鎌倉仏教: 平安仏教に比べ、教えが簡単でわかりやすく、武士や庶民に普及。念仏系=「南無阿弥陀仏」を唱えれば阿弥陀仏に極楽浄土に連れて行ってもらえる。法然(浄土宗)、親鸞浄土真宗)、一遍(時宗)。/題目系=「南無妙法蓮華経」と唱題し法華経を奉じれば成仏できる。日蓮日蓮宗)。/座禅系=座禅を組めば悟りを得ることができる。栄西(臨在宗)、道元曹洞宗)。