「ぷらほ」発・自治のつくりかた

■前回、「「ぷらほ」をなくしたくない、そのために何か手助けしたいというみなさんに協力してほしいことがある」として、幾つかのお願いをした。それに応え、久しぶりにフリースペースを訪れてくれたメンバーの人たちや「直接訪問はできないけど」と通常より多めに資金提供してくれたスポンサー/サポーターの人びとのおかげで、何とか当面の予算を組むことができ、2010年度の事業を開始することが適った。ご協力いただいたみなさんには心から感謝している。
■さて、では今度は私たちスタッフがみなさんの負託にこたえて頑張る番だ――ということには、残念ながらならない。それをやってしまっては、私たちが陥ってしまった今回の危機を反復するにすぎなくなってしまう。私たちの活動それ自体の文脈や背景が、以前とはかなり様変わりしてしまっているのに、相変わらずな組織運営を続けてきたがゆえの危機だったわけだ。スタッフ中心でやってきた組織運営のありかたそのものをきちんと俎上に載せていく必要がある。
■社会の中で何か不具合が生じたとき、わたしたちはつい、その問題をきちんと調べたり特定したりせず、予断や偏見に基づいて定義し、原因を探し出し、それを除去することで「問題を解決できた」と思い込む誤りに陥ってしまいがちだ。それは避けたい。ではどうすればよいか。予断や偏見は無知より生じる。どんなに賢い人でも、単独では複数の人びとの集合知には適わない。私たちの場合も然り。ということで、一連の作業をメンバーとともに進めていきたいと考えている。
■その第一弾が、先日実施した「フリースペース年度末交流会」である。「ぷらほ」の今後を心配して集まってくれた心あるメンバーたちに対し、スタッフからの現状報告があり、それを受けて、メンバー1人ひとりからそれぞれの思ったことや感じたことについての言葉が順番に語られた。感動的だったのは、それらが、「そうした問題状況に対し自分にできることは何か」とどこかで自問していくような響きをもつ、当事者としての言葉遣いや語り口にあふれていた点だ。
■これは、問題があれば「責任者でてこい!」と脊髄反射するのが一般的な世間のモードとは随分異なる思考様式である。だが、未だ十分に普及していないとはいえ、圧倒的な資源の乏しさを生きていかねばならない今後のわたしたちにとって、いずれ必要となる「社会に対する態度」である。私たちはそれを「ぷらほ」というNPOの運営より学んだ。今後、さらにその運営をメンバーに開いていく方針だ。「自治のつくりかた」を学ぶ学校として有効活用してほしい。*1

*1:『ぷらっとほーむ通信』084号(2010年4月)