はじめに

滝口克典(筆者自身を指す)は、二〇〇一年一月から現在まで、山形市内において、若年世代を対象とした「居場所づくり」の運動/活動に継続的に関与してきた。二〇〇一年一月から二〇〇三年三月までは「フリースペースSORA」(山形市東山形。二〇〇四年七月をもって解散。以下「SORA」と略記) 、二〇〇三年四月以降は「ぷらっとほーむ」(山形市江南) の創設・運営に、それぞれ代表として関わっている。とりわけ前者の「SORA」は「県内初の民間フリースクール開設」 の試みであり、同じ地域に前例が存在しなかったがゆえに、そこではさまざまな試行錯誤が繰り広げられた。
前例がないなかで「居場所づくり」を行うということは、ただ子どもや若者が集う空間を物理的に創出するというだけでなく、自分たちの行為が何を意味するのかについて、その未知の価値を定義し、意味づけ、外部に対してわかりやすく説明し、そうすることで支持者を確保していくような言説実践をも必要とする。支持者の有無が財政的にも死活的に重要な市民運動/活動にあっては、自分たちについて語ることが、そのまま政治に直結する。「言説=政治」なのである。
だが、この「言説=政治」の死活的な重要性に関しては、「居場所」をはじめとする個々の市民運動/活動はおろか、それらの「支援」を掲げて運動/活動しているはずの「中間支援」部門ですら、正当に認識しているとは言いがたいように感じられる。この認識不足を克服するためには、まずは個々の運動/活動の現場における「言説=政治」の実際を丁寧に記述し、それらに着目することの重要性を訴えていくより他はないと考える。筆者もまた、「居場所づくり」の運動/活動に携わる者として、その責を果たしたいと考える。
そこで本稿では、「県内初の民間フリースクール」であった「フリースペースSORA」を事例として、滝口が、自らの「居場所づくり」実践に関していかなる定義を行い、そこに説得力をもたせるためにいかなる語りを動員し、そしてそれらをメディアごとにどう使い分けていたのか、そこにはいかなる政治的な意図が存在し、それによって運動/活動のどのような局面が切り開かれてきたのか、などといった問題について明らかにしていきたい。これらを記述することで、「居場所づくり」運動/活動の政治過程というものが理解可能となるであろう。
なお、分析にあたっては、「SORA」(二〇〇一年一月〜二〇〇三年三月)において、滝口克典が発した言説および彼の編集権の範囲内にあった言説を主な資料として用いる。具体的に言うと、同時期の「SORA」が発行していた会報『SORA模様』や、同時期に滝口が地域の福祉情報誌や他県のフリースクール通信誌に投稿した記事などがそれにあたる。