さよなら。どうもありがとう。

どうやら結論が出たらしい。距離のあるおつきあいだったとはいえ、かつて自分の苦境をも救ってくれた人なわけだから、いなくなってしまうらしいとわかったとき、一抹の寂しさが残った。恩返しがしたかったな。せめて、「ありがとう」ってちゃんと伝えたかった。でも、忘れてはいけないこと。残った人たちはきっとあれこれたいへんだ。信じて待ち続けた人が「さよなら」を選んだことに、いろんな思いを抱いていることだろう。ぼくもまた残された側の一人。残された側の人間にできることは、ただ「続ける」ということ。去ったはずの人が何かの気まぐれでまた近くに立ち寄ってくれたときに、それを迎え入れてやれる場を、いつかはわからないそのときまで保持し続けることだけだ。「ありがとう」は、そのときに伝えよう。
あるときいっしょに生きていたはずの人たちが、いつのまにか離れ離れになっていく。人はみなひとり、いずれ異なる道を行く。それぞれが選択したそれぞれのレールをやがては歩んでいくことになるのだ。そんなことは知っている。きっと今何らかの巡り会わせで偶然にも自分とともにある人たちも、いずれはそれぞれの居場所を見つけてどこかへ去っていく。間違いない。だがそのとき、自分はその人たちの「選択」を、その「自己決定」を、温かく祝福してやることができるだろうか。笑顔でその出立を見送ってやることができるだろうか。彼らを見送った後、再び自分の持ち場に戻って、作業を続行することが果たしてできるのだろうか。