あれから1年も(しか)?

「教育と社会」読書会、第13回目が終了。企画してからもうすぐ1年。3冊目の、広田照幸『教育言説の歴史社会学』がもうすぐ読了。割と長かったな。

教育言説の歴史社会学

教育言説の歴史社会学

レジュメ担当箇所は「第10章 学校像の変容と〈教育問題〉」。〈教育問題〉を語る際の語り口や立ち位置が、70年代の前後で変化。以前は、「文部省・自民党 対 日教組(教師)・親」図式、つまり「国家による中央統制 対 教員の自立性確保」という対抗軸の一環として語られていた〈教育問題〉が、70年代を経て、「教員・学校 対 親・子」という対抗軸を前景化。学校内部の具体的なありようにむかう視線が生成、学校の日常や関係性そのものを〈教育問題〉として構築していくようになる、というもの。「登校拒否」運動もまた、完全にこの文脈で進行。東京シューレの言説実践もまた然り。対立軸の「親・子」の側に立ち、その代弁者として振舞うことを期待されるその立ち位置ゆえに、彼らは「脱学校」言説を洗練させるよう動機づけられているのではないか、またその一方で、その図式に縛られているがゆえに彼らは「学校」をめぐる言説空間から容易には離れられないのではないか。もうひとつ、東京シューレが「スタッフの専門性」を展開しない――その陰画としての「子ども・親の自治」言説――理由もまたこの辺りにあるのではないか。「スタッフの専門性」を言い出した途端に、それはかつての「教員・学校 対 親・子」図式の「教員・学校」の立ち位置に重なってしまうわけだし。とか考える。
経済学という教養

経済学という教養

次のテキストも決定。4冊目は、稲葉振一郎『経済学という教養』。え、読書会のお題って「教育と社会」だよな? とかいうツコーミは不受理。読書会の進めかたに関しても、いろいろと工夫が必要だということを確認。もう数人いればいいのにねとか、でも火曜の日中なんて、みんなひまじゃないしねとか。