落下する目玉


30余年というそんなに長くもない人生のなかでも、それまでの自分のものの考えかたや価値観の前提を突き崩されるような、衝撃的な言葉と時おり遭遇することがある。それはまさに「目から鱗」、というか「目玉そのものが転げ落ちる」とでもいうべき体験だ。
「目玉が転げ落ちる」わけだから痛くないわけがない。それまで自らが安易に受け容れていた前提とその根拠が粉々にされて、足場が失われて、地面がぐらぐら揺らいで――震度13(当社比)――、とにかくそういう痛恨の一撃で「目玉が(以下略)」なのだが、そこに痛さだけがあるわけではない。吹き飛ばされて空っぽになった眼窩の風通しのよさ、これがなかなかに気持ちよいものなのだ。はじめてスカートをはいたときのような、すうすうした感じ。自由な感じ。
しかも、かつての「目玉」――仮に「目玉A」としておこう――を失った目で、改めてあたりを見渡してみると、それまで目玉Aを通じて見えていた世界が、まるで違って見えてくるものだということに気付かされる。さてこれはどういうことか、なんて考えながらふと足元を見ると、誰かが落としたものだろうか、いろんな色や形、大きさの目玉があちこちに転がっていることに気付く。目玉B、目玉C、目玉E・・・。自分が落とした目玉Aはすでにそれらにまぎれて、どこに転がっているのか皆目検討もつかない。いつまでも目玉なしでいるのも不安だし、とりあえず自分に合致しそうな目玉Bを手にとり、眼窩に嵌め込んでみる。でも、ちょっと違う。違和感が大きすぎて不快なときは、今度は自分で目玉Bを外して、別の目玉CとかEとかを手にとり、嵌め込んでみる。違えばまた別の目玉・・・の繰り返し。そんなふうにしてわたしは今、自分にある程度しっくりと馴染む目玉を手にしている――それも、いつかはまた不意に「転げ落ちる」かもしれないのだけど。

 わたしの目玉がはじめて転げ落ちたのは、大学に入学したての、とある講義のとき。そこでの教授の言葉――「今まで君たちが勉強してきた高校までの教科書、あそこに書いてあることはみんなウソだから」――とそれがわたしに与えた衝撃を、わたしは決して忘れられない。今となってみればなんてことのないありふれた言葉だと思うのだが、その当時の自分――進学校のなかで良好な受験成績の維持だけを自らの存在意義とし、受験システムに依存した自尊感情を純粋培養していた自分――にしてみれば、自らのアイデンティティの核心を突き崩す言葉だったのだろう。痛かった。
 だが、その言葉は、それまでの自分を呪縛していた何かをも同時に吹き飛ばしてくれていた。それは、権威的な人々の権威的な言説――「考えなくてもいいんだよ、正しい答えは偉い先生が教科書に書いてくれているから、あとはそれを覚えればいいんだよ」――の「正しさ」を無条件に受け容れよ、という脅迫観念。しかし、そもそも世の中の言説を、完全に「正しい」言説と完全に「誤った」言説に分けることなどできるわけがない。あらゆる言説は部分的に「正しく」、そしてそれゆえに部分的に「誤って」いる。裏返せば、それは、「正しさ」へとアクセス可能な回路が、他でもないこの「ちっぽけな自分」にすら開かれてあるのだということを意味していた。誰かによって完成されたシステムや物語にただ順応するだけ、システムが与えてくれた「正しさ」や「心地よさ」をただ享受するだけの歯車のような人生しか、もはや自分たちには残されていないのではないか――そんな絶望的な疑念に苛まれながら生きてきた(そして今も生き続けている)自分のなかで、はじめて芽生えた希望の欠片ようなもの。大げさな言いかたになるが、おそらくこのとき、世界から疎外され続けてきた(ようにずっと感じてきた)自分に、世界がようやく訪れたのだと思う。宗教学でいう「回心体験」にどうやらそれはあたるらしいと知ったのは、もう少し後になってからだ。

 自分の目玉を疑ってみること、別のそれと取り換えてみること。一連の過程でわたしが身につけたのは、自分の眼窩に現在おさまっている目玉は、何ら自然なものでも自明なものでもないのだという認識と、ならばそのときの自分にとって最も相応しい(と自らが思える)目玉を自分が選択することも可能なのだという認識とである。あれから幾度、わたしは目玉を落としただろう。目を見開いて何かを見つめていると、ついついわたしは目玉を落としてしまう。痛いのは承知だ。しかしそれに伴う快感のゆえにか、ついまた目を見開いて、何かを見つめ始めてしまう自分がいるのだ。*1

*1:『月刊・ほんきこ。』NO.18(2005年2月号)