自由! 平等! 財産! ベンサム!

ようやく今ごろになって、『資本論』4章を読了。いやあ、いよいよ商品交換の外部、生産過程に突入ですね。ところで、流通過程が「天賦人権の真の花園」とか「事物の予定調和の力」とか「万事を心得た神の摂理」とか、神学的な語彙やレトリックで語られているのが、個人的には非常に興味深い。そこには、古典派経済学を「世俗神学」と認識し、批判する視線がある。『資本論』の副題「経済学批判」を想起してみてほしい――「経済学批判」とは、すなわち「経済学(を装った神学)批判」ではないか。とはいえ、マルクス史的唯物論自体もまた「世俗神学」にすぎないことは自明で、となれば論争の賭金になっていたのは、近代の「大きな物語」の要件ともいえる「客観性」や「価値中立性」だということになる。それこそが、神学信仰/客観科学を分かつものだから。

資本論 1 (岩波文庫 白 125-1)

資本論 1 (岩波文庫 白 125-1)

思想史あるいは概念史をやってきた視点からは、「何が」語られているか以上に、「どのように」語られているかに関心が向かってしまいます。修士論文の過程で、教理問答書や年代記からひたすらレトリックや比喩の箇所のみを抽出して、そこから読み取れる無意識の世界像/社会像みたいなものを記述したことを思い出した。なんだかこの読書会は、自分の記憶の中の奥深くに沈み込んで忘却されてしまっていた断片を、拾い上げ、救い上げているような、そんな感覚。