私たちができる/すべき支援。

■震災後の混乱と年度末/初めの繁忙とをくぐり抜け、ようやく最近、一息ついて周囲を見渡せるようになってきた。被災者の人びとの窮状や彼(女)らへの支援活動に奔走するNPO・市民活動の仲間たちの姿を横目に見ながらも、自分たちの活動の足場ともいえる決算や予算、事業計画をおろそかにすることもできず、1ヶ月以上もの間、動きたくとも動けない、身を引き裂かれるような思いのなかで過ごしてきた。視界が開けた今、改めて語れるようになったことがある。
■共同代表の松井とも折に触れて話しているのだが、NPO・市民活動に平時より取り組んでいるということで、震災直後より私たちのもとには、さまざまな人たちからのメールや電話が届いた。「何か自分にできる支援活動を行いたいのだが、何をすればいいかわからない。教えてくれ」というのが、彼(女)らの問いであった。もちろん、災害救援の専門家でない私たちにどうすべきかなんて答えられるはずもない。その意味では、私たちと彼(女)らに差など存在しない。
津波被害の凄まじさや原発震災の前代未聞さゆえに、被災者支援を専門に活動してきたNPOの人びとでさえ、これまでの経験や知見を当てにすることができず、試行錯誤の毎日だという。であれば、経験ある者も経験なき者も条件は同じ。何をすればいいか、その答えはそれぞれがそれぞれの現場において自ら見つけ出すしかない。動くに動けなかった私たちは、そのなかで、自分たちが何をすべきか、自分たちにしか埋められないニーズは何であるかをひたすら考え続けてきた。
■私たちの専門は、居場所づくりである。孤立した若者たちがつながり、社会へのアクセスを回復できるような足場を地域のなかに根づかせてきた私たちの方法論は、隣県から山形に避難してきた人びとに対する支援の手法としても有効性をもつはずだ。おりしも現在、避難所から個別に地域社会に移行し始めた福島の人びとへの差別があちこちで顕在化していると聞く。彼(女)らもまた「居場所のなさ」というニーズを抱えている。ならばそれに対応しなければならない。
■一方で私たちは、敷居の低い学びの場づくりにも取り組んでいる。何をすべきか教えてくれ、という人びとに「答え」を教えてやることはできないが、彼(女)らのために、考える場や機会を提供することはできる。誰しも、学校化された社会のなかで相応の「去勢」を受けて育ってきている以上、何らかの支えがなければ、自分の頭で考え始めることは困難である。ここにも、私たちが取り組むべきニーズが存在する。これが、現時点での私たちなりの答えである。*1

*1:『ぷらっとほーむ通信』097号(2011年5月)