雪かき論

■ようやく春めいてきたが、今年の冬は例年になく積雪が多かった。雪が積もれば、当然ながら「雪かき」の仕事が待っている。それは、プラスの価値を生むものではなく、ただマイナスをゼロ地点まで戻すだけの仕事であるため、とりたてて評価されるような何かではない。しかしながらそれは、それがなされなければ人びとの生活がストップしてしまうような、そういった社会の基盤に関わる重要な仕事でもある。「雪かき」が大変な年に、私はいつも「ある冬」のことを思い出す。
■それは、今からちょうど9年前の冬。当時の私は、山形市では初の通所型フリースクールの専従スタッフとして、不登校の子どもたちと関わる活動をしていた。ただでさえ雪の多い冬だったのに、事務所が東山形に位置していたため、とりわけ積雪の多さに悩まされた。事務所に行くと、たいていはそれまでに積もった雪で駐車場に入ることができず、自分が駐車するスペースの雪をとりあえずかきだし、事務所の暖房をセットしたのち、再び「雪かき」作業に戻った。
■まだフリースクールなどというものは山形市内では他に存在しておらず、人に話しても「なぜ甘えを助長するような真似をするのか」と訝しがられたり「余計なことをするな」と叱責されたりすることのほうが多いようなご時勢だった。好意を寄せてくれる人びともいなくはなかったが、大半が遠巻きに期待や声援を送るだけ。アドバイスだけくれる人たちもたくさんいたが、下手に耳を傾けてしまうと仕事が増えるため、なるべく聞かないように心がけた。孤立していた。
■通ってくる子どもが一人でも存在する可能性がある限り、活動をやめるわけにはいかない。そう自らに言い聞かせながらの取り組みだったが、そうは言っても、誰も来ないんじゃないか、誰もこんな場所など必要としていないんじゃないか、といった不安を払拭することは不可能だった。そんな中での「雪かき」である。実際には誰一人来ない日も多かったが、それでも何人来てもいいようにと駐車スペース全ての「雪かき」をした。終わるとお湯を沸かし。お茶の準備をした。
■あの「雪かき」の日々とは何だったのだろう。まだ人びとの知らない価値があり、それを信じる者たちがいるとして、彼(女)らがその価値を伝えるというミッションに取り組むとする。その場合、彼(女)らはまず人びとを迎え入れるための「場」を開かねばならず、そのためには「雪かき」が必要となる。あれから9年。現在の私には、ともに「雪かき」してくれる仲間たちがいる。そのことを思うとき、9年前のあの孤独な「雪かき」の日々が昇華される気がする。*1

*1:『ぷらっとほーむ通信』095号(2011年3月)