若年支援のゴールはどこにあるか

■前回に触れた「日本教社会学会:第62回大会」のテーマ分科会「若者支援の現状と課題」(9月18日9:20−11:50)で、「「居場所」はどのように達成されているか:民間フリースペースにおけるスタッフの環境統制ワークに着目して」と題した研究報告を行ってきた。若年支援をめぐるマクロ・ミドル・ミクロの各レヴェルにおける現場の実態とそこに横たわる課題について、研究者たちが観察・記述・解釈内容を報告し、それをもとに多角的に議論を行った。
■同部会では、筆者の他にも「支援団体」に関するフィールドワークに基づいた研究報告が複数行われ、調査対象となった「支援団体」そのものの前提や価値観の多様さもさることながら、それを調査する研究者のまなざしの多様さもまた、非常に興味深く感じられた。筆者から見て、分岐点は、(1)若年支援を「就労支援」というフレームで捉えるべきかどうか、(2)「支援団体」どうしを相互に隙間なくつなぎ合わせることは適切か否か、の二つの問いにどう答えるかにある。
■前者の問い――「就労支援」が取りこぼしてしまう人びとにどう対処するか――については、そもそも取りこぼしが生じるという事実すら「就労支援」というフレームでの施策実施がなければ見えてこない(ゆえに有効)という指摘や、「就労」の他に支援成果を図れる適切な指標が存在しない(ゆえに有効)という指摘がなされた。だが、正社員就職の敷居が果てしなく高くなり、そもそもポストの絶対数が圧倒的に不足している現在では、それは現実的な指標とはいえない。
■また、後者の問い――「支援団体」間のネットワークや関係性をどのように、またどのようなものとして構築していくか――については、地方自治体が中心となってそれぞれの団体を位置づけ、相互につないでいくべきという指摘や、そうするにあたって個々の「支援団体」はそのコミューン的体質を克服すべきとの指摘がなされた。だが、これに関しても、ある程度の閉鎖性は「居場所」の居心地のよさの基盤そのものであるし、その弊害への自覚が現場にないわけでもない。
■両者に共通しているのは、若年のあるべき進路モデルのようなものを支援の前提として普遍的に想定するか否かという問いではないかと思う。そうした進路のゴールに「就労」を置くことも、若者のいるあらゆる場をそうしたゴールに通ずる回路網に接続することも、どちらもこの問いにイエスと答えることを意味する。だが、「ぷらほ」はこれにノーと答え続けてきたように思う。では、私たちのイエスは何に対し与えられてきたか。明らかにすべき課題である。*1

*1:『ぷらっとほーむ通信』090号(2010年10月)