高校受験社会・歴史(2)中世の日本 その2

建武新政から南北朝対立へ: 悪党(アンチ鎌倉幕府武家)の武力をかりて鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇(朝廷・京都)が行った公家中心の政治。冷遇された武家の不満が爆発し、武家と公家が対立して失敗に終わる。武家側の足利尊氏は京都に北朝をたて、自らを征夷大将軍に任命させて、室町幕府を開く。一方、公家側の後醍醐天皇は吉野に逃れ、南朝をたてる。この対立の時代を、南北朝と呼ぶ。
足利義満: 室町幕府第3代将軍。南北朝の対立を収束させる。幕府財政確保のため、明に朝貢し、勘合貿易(正式な貿易船と倭寇の区別のために勘合符を使用)を行う。銅銭(明銭)を大量に輸入。
■民衆の成長: 銅銭の流入・普及によって農村に貨幣経済が導入され、貨幣のもつ価値保存機能により経済力をつけた人びとが発言力をUPさせ始める。農村では、惣(自治組織)が生まれ、これを基盤に一揆などが発生するようになる。都市では、商工業者たちが座(同業組合)を結成して営業独占を図ったり、町衆(京都の富裕層)による自治活動(祗園祭の復活など)が行われたりするようになる。
室町時代の文化: 足利義満(3)による北山文化金閣能楽狂言など)/足利義政(8)による東山文化(銀閣、書院造、『御伽草子』、水墨画など)。幕府(武家政権)が京都(公家の拠点)に位置したため、武家文化と公家文化が融合。簡潔(武家の気風)だが気品(公家の気風)のある文化が生まれる。
応仁の乱から戦国時代へ: 将軍後継問題などを発端に、京都(当時の首都)にて、有力守護大名である細川氏と山名氏の間で、応仁の乱が発生(1467年)。この首都の混乱が全国に波及し、下剋上の風潮(身分が下の者が身分の上の者に実力でとって代わること)が生まれ、戦国時代の幕開けとなる。各地の守護大名鎌倉時代の守護が室町時代に急成長したもの)が、各地で台頭してきた戦国大名たちにとって代わられていく。