「ミッション共有」とは何を意味するか?

■先日、調査依頼を受けて、ある居場所NPOを訪れ、そこのスタッフ全員にインタビュー調査を行った。調査のお題は、「NPOは、その団体に固有のミッション(使命)をもっていると前提されているが、果たしてそれは実際にスタッフ間でどれだけ共有されているか、共有されているとすればそれはどのような方法によって達成されているか」というもの。方法上の課題は、ミッション共有の達成度合いを、どのような基準やものさしを用いて計測し評価するか、にある。
■当然ながら、各スタッフの頭をかち割って脳みそを取り出してみたところでミッションやその代理指標となるような何らかの物質が出てくるわけではない。ミッションとは意味の産物であり、言語によって分節され構築された/され続けているものである。とすれば、分析の照準は、スタッフそれぞれが用いている語彙やその用いかたにあてるのが適切だ。すなわち、スタッフそれぞれの使う語彙やその使いかたに共通性はあるか、あるとすれば何がそれを可能にしているか。
■ところで、団体のミッションは、通常は、定款や規約の冒頭にある定型句的な一文――例えば、「子どもの社会参画を支援する」――に集約されているわけだが、この定型句を暗誦できるかどうかがミッションを理解しているかどうかの基準となるわけではもちろんない。その定型句的な一文を、それぞれのスタッフがどのような論理で理解し、自らの腑に落としているか、言わばその定型句の説明のしかたに共通性があるかどうかに、団体のミッション共有度は現われる。
■例えば、「子どもの社会参画を支援する」というミッションの語彙がある場合、ではその「子ども」とは誰のことか、「社会」とは何のことか、そこに「参画」するとはどういうことか、しかもそれを「支援する」とは何を意味するのか等、その定型句を構成しているいくつかの要素や前提の束をばらばらに分解してみるとよい。この問いを各スタッフに投げかけたとき、その説明のための語彙や用法が共通していてはじめて「ミッションが共有されている」と言えるだろう。
■なぜそんな瑣事にこだわるか、訝しがられるかもしれない。しかし、意味や言語によって自らを輪郭づけしているNPOがそれを怠れば、団体は求心力を失い、容易に解体してしまうだろう。ミッションが明確に言語化され、スタッフ間で共有されてあればこそ、柔軟な組織運用も可能になるし、行政からの下請け要求をも正当に退けることができる。ではそうした「ミッションの構築」はいかにして可能になるか。明らかにしていかなければならないのはそこだ。*1

*1:『ぷらっとほーむ通信』55号(2007年11月)