わらえないはなし。

「子どもの人権」がテーマの、ある学校教員の研究会に参加。懇親会の席上、自己紹介の場面でそれは起こった。どっかの教員が得意げに自分の近況を話した。現在、その教師のクラスには不登校の子がいるのだという。その教師曰く、学校に来ないことには人生おしまいなので、その生徒の人の部屋まで押しかけ、無理やり力づくで引き出し学校まで連行したとのこと。何度も、何度も。後日、保護者から連絡があり、対家族暴力が始まったとのこと。その教師は、保護者にこう伝えたという。暴力があったら警察に通報したらいい、と。生徒の人は、暴力の理由をこう話したそうだ。自分は教師や保護者に暴力を振るわれた。だから、暴力を振るう相手には暴力でやり返したのだ、と。自分の指導を「暴力」なんて呼ばれちゃったよ、あはは。せっかくわざわざ人生を救ってやろうとしてるのになあ。これだから●●はこまるよ。そんなニュアンスで話はしめくくられた。周囲の教員たちが話の端々で笑いながら、拍手をした。

…信じられない光景を見た、と思った。繰り返すがこれは、「子どもの人権」を掲げる研究会での一場面である。なぜあの話題に無邪気に笑えるのか、拍手できるのか。自分には理解できない。まったく理解できない。「子どもの人権」というのは、学校教師の共同体においては、大日本帝国憲法下での「臣民の権利」みたいな意味で用いられている言葉なのかもしれない。とすれば、まずやらなければならないのは「人権」とは何であるかについて、連中の無知蒙昧を啓蒙してやることである。おまえらが手を染めているのは人権侵害そのものですよ、正当性なんかどこにもない暴力そのものですよ。そのことを徹底的に突きつけてさしあげようと思う。覚悟しておくといいと思います。