高等予備科講義:戦後日本の流れを整理するためのフレーム

戦後日本の流れについては、次のような時代区分図式を使うと理解しやすい。戦後日本は、経済を軸に見ると、4つの時期に大別できる。①戦後復興期(1945−55)、②高度成長期(1955−73)、③安定成長期(1973−1987)、④バブル経済(1987−91)。

①に関しては、日中戦争アジア・太平洋戦争により日本社会が受けたダメージから回復するための10年間という位置づけ。ただしそれがたった10年で済んだのは、お隣りの朝鮮半島において朝鮮戦争(1950−53)が勃発し、軍需物資が爆発的に売れて日本企業が儲かってしまったため。このとき儲けたお金を元手にして、次の②の時期がやってくる。

②の時期の特徴は2つ。1つ目は、この時期の基幹産業が重化学工業(鉄鋼業、石油化学工業)だということ。2つ目は、それらの工場が太平洋ベルト地帯に集中しているということ。両者には関連性がある。重化学工業の原料(石炭・鉄鉱石、原油)は国内では採れないので輸入に頼っている。したがってそれらは海外から船で運ばれてくる。船で運ばれてきた原料を加工するには、臨海部に工場を立地したほうが輸送コストがかからずにすむ。

ところがこの高度経済成長は、石油危機(1973)によりストップする。第四次中東戦争アラブ諸国が発動させた石油戦略により、石油価格が暴騰。これにより、安く原油を輸入しそれを使って商売をするというそれまでのようなやりかたが破綻してしまう。

不況はしかし、長くは続かない。③の時期になると日本は、その産業の重心を重化学工業から自動車・IC工業などへと移行させ、安定成長または低成長の時期に入る。そうした新しい産業の工場は、土地や労働力が高い太平洋ベルトを避けて、それらが安い東北・九州などの地方に立地するようになる。東北はシリコン・ロード、九州はシリコン・アイランドと呼ばれる。

ところで、③の時期に作られた自動車は、国内市場を一巡した後は海外に輸出されるしかないわけだが、それをどんどん増やしたことが、輸出相手のアメリカ合衆国を怒らせた。日本製品におされてアメリカ車が売れなくなったためだ。こうして起きたアメリカとの貿易摩擦だが、弱腰の政府が相手の要求をのんで内需拡大路線に転じたため、それまで海外に投資されていたお金が海外の投資先を失い、しかたなくまた国内に戻ってきて、とりあえずそこにあった土地や株に投資。こうして生じたのが、④のバブル経済である。