『ストーンオーシャン』

ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン (10)

ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン (10)

ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン (11)

ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン (11)

ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン (12)

ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン (12)

ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン (13)

ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン (13)

ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン (14)

ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン (14)

ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン (15)

ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン (15)

ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン 17 (80)

ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン 17 (80)

■読了漫画。37−48冊目。荒木飛呂彦ストーンオーシャン』6〜17巻。引力に導かれるように全巻を読了。最終巻の展開にはいろいろと「?」が尽きない。この「?」は、第4部最後の吉良の時間爆弾のときに感じた疑問にも通じる。宇宙が一巡して2周目になったときに「歴史の必然」としてそこで登場するであろう「わたし」というものがあったとして、それは2周目の「わたし」であって、(1周目の)わたしではないはず。「時の進行」に関して、動植物・無生物と人間とをわけているのも気になる。プッチのやりたいこともよく理解できない。あの世界観・時間観によるなら、現在の宇宙が1周目かどうかなんてわからないはずで、実はもう何周も回っているのかもしれない。そしたら全ての人間は「それぞれの必然」を無意識に潜在させており「覚悟」ゆえにその「運命」を全うしている(からこそ「歴史の必然」が繰り返し再現されている)わけで、だとしたら、さらに世界をあと何回回転させようがそんなものとは関係なく、すでに「天国」は「いま・ここ」に現前しているということにはならないのか。それともこうした疑問は誤読ゆえのものなのだろうか。よくわからん。それはそうと、プッチの思想は予定説と輪廻説が混じってるみたいで面白い。