「地方都市における「子ども・若者の居場所づくり」の臨床社会学的研究」

■研究概要

【はじめに】 1980年代以降、「いじめ」や「不登校」など、多発する学校問題への草の根の対応策として、「フリースクール」や「フリースペース」と呼ばれる「不登校の子どもの居場所づくり」の運動/活動が各地で発生した。こうした「居場所」は、2000年代に入り、学校教育や労働市場に「不適応」な若者たちが「ひきこもり」や「ニート」など「社会問題」と見なされるようになるに及んで、その「社会的自立」のために活用可能な社会資源のひとつとして新たな位置づけを獲得しつつある。筆者自身、若年支援NPOの運営者として、その動きに関わっている。本研究は、そうした「子ども・若者の居場所づくり」の運動/活動について、臨床社会学的に――「居場所スタッフ」という臨床実践者としてのまなざしを保ちながら――考察していく。

【先行研究】 「子ども・若者の居場所づくり」の実態については、不透明なことが多い。「居場所」については、「不登校」「ひきこもり」を核とした語りのなかで周辺的に触れられるに過ぎず、しかもそれも、運動/活動主体が主観的・直感的に語る「実践報告」や「スローガン」の類がほとんどであり、「居場所づくり」それ自体についての客観的・反省的な研究・調査はほとんど存在しないといってよい。そこで本研究では、「子ども・若者の居場所づくり」の運動/活動それ自体に焦点を合わせて、その実態――どのような人びとがそれに関与し、そこでは何が、どのようなやりかた、どのような位置取りのなかで行われているのか――を明らかにしたい。

【研究対象】 研究対象としては、「地方都市」における「子ども・若者の居場所づくり」を具体的にとりあげる。「地方都市」の事例に対象を限定する主な理由は次の点にある。すなわち、従来の「子ども・若者の居場所」をめぐる運動/活動言説の多くが大都市圏の――具体的には、「フリースクール」の草分けとされる「東京シューレ」の――成功事例をもとにしたものであり、「地方の居場所」から見たときに違和感があるということ、にもかかわらず、そうした大都市圏の成功事例のみが「居場所」のモデルイメージとして流通しているがゆえに、「地方」の側ではそれに囚われ、縛られがちであるということである。実のところ、そうした「視野狭窄」こそが「地方の居場所」の消耗を早めている側面があるのではないか。この問題を客観的に明らかにし、「地方の居場所」――さらには「地方の社会運動/市民活動」――に固有の困難というものを理論的に析出するためにも、「地方の」ということにこだわりたい。

【課題設定/研究方法】 「子ども・若者の居場所づくり」を研究するにあたって、その運動/活動に従事する「スタッフ」の語りや行為に注目する。「スタッフ」の語りや行為に関しては、二つの異なる次元を区別することが可能である。
第一にそれは、社会運動/市民活動としての「居場所づくり」という局面であり、この文脈では、「居場所スタッフ」は「社会運動/市民活動の組織マネジメント」に従事する者と定義される。この視点からは、「地方の社会運動/市民活動」に作用している諸々の社会的/政治的な力が何であるのか、そうした環境や条件について、「スタッフ」はどのようにそれを把握し、それらにどう対処しているのか、等が疑問として浮上してくる。
第二にそれは、「居場所スタッフ」が「居場所」内部で「子ども・若者」を対象として行う「支援」という局面におけるものであり、この文脈では「居場所スタッフ」は「社会的弱者の対人援助」に従事する者と定義される。この視点からは、「居場所」において支援主体とされる「スタッフ」と支援対象とされる「子ども・若者」との間でどのような関係性が生成しているのか、また、なぜそこで支援対象の側に「社会的自立」や「回復」といった事態が生じてしまうのか、といった疑問が浮かぶ。
前者の、「居場所スタッフによる社会運動/市民活動のマネジメント」の問題に関しては、南東北三県(福島県山形県宮城県)に位置する複数の「居場所」を事例として、言説分析やライフストーリー分析の手法を用いて研究を進める(課題①)。後者の、「居場所スタッフの対人援助実践」の問題に関しては、筆者自身が運営する「居場所」を主な事例として、会話分析やエスノメソドロジーといった相互行為分析の手法を用いて研究を進める(課題②)。換言するなら、課題①は「居場所スタッフの主観的意味世界」のありようを記述することであり、課題②は、課題①で明らかになった「主観的意味世界」が実際の相互作用においてどのように達成されている/いないのか、あるいはそういった認識や言説が、現実の相互行為の中でどのように機能しているのかについて検証することである。

■課題①:「居場所スタッフ」の主観的意味世界とはどのようなものか?

ここでは、「居場所スタッフ」の語りを収集し、それらを分析することで、「子ども・若者の居場所づくり」という運動/活動が、「居場所スタッフ」の人びとによってどのように意味づけされ、体験されているのかを明らかにする。「居場所スタッフ」をとりまく人びとのカテゴリーには、運動/活動内部においては、①理事会/親の会、②ボランティア、③利用者(当事者)が存在し、運動/活動外部においては、④学校(担任教師・保健室など)、⑤教育行政(教育委員会など)、⑥福祉行政(保健所など)、⑦心の専門家(精神科医・カウンセラーなど)、⑧当事者系団体(当事者・親の会など)、⑨メディア、⑩他の社会運動/市民活動、⑪他の「居場所」、⑫企業、⑬家族・親族、⑭友人・知人、などが存在する。あるいはまた、先述のとおり、「地方の居場所」に対して強い規制力を有するものとして、⑮「中央」発の「フリースクール言説」が存在する。それぞれとの関係性をめぐって、「居場所スタッフ」が相手に対してどのような自己呈示を行っているか、そこにあるのはどういう出会いで、その出会いに対しどういう意味づけをしているか、課題として考えられているのは何か、といった「居場所スタッフ」によって具体的に生きられている「主観的現実」の全体像を明らかにする。
このように、「地方都市の居場所」に作用している諸力の具体的なありようを明らかにすることは、「居場所づくり」という分野に限らず、「社会運動/市民活動のマネジメント」という、より普遍的な問題を考えていくうえでも、さまざまな示唆を与えてくれるだろう。それはまた「社会運動/市民活動」の実際の担い手の視点をも組み込んだ――換言するなら「現場で使える」――「マネジメント」理論の構築に対し、臨床社会学(質的研究)というものが独自の貢献を果たしうるということの例証にもなるであろう。

■課題②:「居場所」における「支援」の効用はどこからやってくるのか?

前節では、「居場所スタッフ」の語りをもとに、「スタッフ」の立ち位置から「居場所づくり」という世界がどう見えるのかを明らかにした。ここでは、「スタッフの視点」を離れて、「居場所」における「支援」が、支援主体とされる「スタッフ」と支援対象とされる「利用者」との間の相互行為を通じて、どのように組織されているのか、換言するなら「居場所の力」が何に由来しているのか、について実証的に明らかにする。「居場所スタッフ」は「指導」や「治療」の専門家ではない。しかしながら、「居場所」では「子ども・若者」が自信や動機を「回復」したり、「社会的自立」を達成したりできた、という語りがよく聞かれる。となれば、「カウンセリング」や「教育学」のような「外在的な理論や知識、技術」ではない「何か」が、そこでは機能しているはずである。いったい「何」が、そこでは行われているのか。「スタッフ」と「利用者」の間で行われている日常的な相互行為――主としてその会話場面――を録音・録画し、そのやりとりを詳細に分析していくことで、「居場所の力」の内実を、「居場所」の「内側」から記述する。なお、そうした「居場所」での「支援」の固有性について明らかにするため、既存の研究成果を利用しつつ、「癒し」や「エンパワーメント」が生じるとされる他の制度的場面における「支援」と、「居場所」のそれとの比較研究を行う。比較対象としては、①「学校教師」の「授業」場面、②「心の専門家」の「カウンセリング」場面、③「養護教員」の「保健室応対」場面、⑤「セルフヘルプ・グループ」の「ミーティング」場面、⑥「サークル」の「やりとり」場面、⑦「喫茶店」の「やりとり」場面などを考えている。
このように、「居場所の力」の内実を客観的・理論的に明らかにすることは、「居場所」の機能が各所で政策的に活用され始めている現在においては実践的意味を有するものであり、各政策主体に対し、有益な前提を提供することにもつながるであろう。