『テレビの罠』

■読了本。68冊目。『テレビの罠』。書評のための副読本として読む。が、たいした収穫は得られず。言説分析の対象として以外に、この人の書いたものを読むことはもはや不可能になってしまった感あり。彼女が遠くへ行ってしまったのか、自分が遠くまで来てしまったのか。中和剤として、また別の「テレビと政治」本を読み始める。