寄り道の先

幻の魚

幻の魚

■12日(日)。W先生の社会学ゼミの卒論発表会に参加。卒論のネタは、感動、化粧、まちづくり、釣り文化、女子高生、女子オタク、宮崎駿、犯罪史。学生さんたちがそれぞれの研究テーマに関連したコスプレで報告というのが面白かった。終了後、打ち上げにまぜてもらう。食べ残しきのこを見逃さなかったSさんの観察眼に敬服。誰も見ていないのに二人でえんえんノリツッコミ大会を繰り広げているRさんとSさんが興味深い。ついでに書くと「フリースナック愛」でわたしがやっている「バイト」のことも彼(女)らには既にバレバレでした。本当にありがとうございました。
■13日(月)。予備校高等予備科2コマ。家庭教師2件。
■14日(火)。予備校高等予備科2コマ。家庭教師1件。空き時間は大学図書館で読書。
■15日(水)。確定申告。110,000円ほどが返ってくるとのこと。しかし、悲しいことに、それらはすべて家主への支払いに消える運命。予備校高等予備科2コマ。家庭教師2件。空き時間は大学図書館で読書。詳しくは書かないが、仕事で思わず憤死しそうなほどムカつくことが。本来なら「上」の領分できちんと処理されてしかるべき案件が、何ら手付かずのまま、「末端」の自分のもとにまで落っこちてくる。しかたがないから落ちてきたゴミを片付けていると、「もっとしっかりやれ!」と「上」からお叱りを受ける。やれやれ、とか思いながら、ゴミを出した張本人のところへいき、「ここはゴミを捨ててはいけない場所ですから、今後はお気をつけくださると助かります」みたいにいうと、「捨てたのはあたしじゃなくてきっと他の誰か」的に言い逃れされ、しまいには「捨てちゃいけないなんて誰が決めたのよ」と逆ギレされた。自分の業務や責任の範囲外にあることで、どうして自分がかような感情労働を無償で遂行せねばならないのだろう。どうして利害関係者が当該案件に関して他人事の構えでいられるのだろう。まあ、思考停止のフリーライダーなんてのはどこにでも涌く蛆虫みたいなものだから、別にいい。そんなことより何より、こういうイラつきは、いったいどこへもっていって「消火」すればよいのだろう。
若者が働くとき―「使い捨てられ」も「燃えつき」もせず

若者が働くとき―「使い捨てられ」も「燃えつき」もせず

子どもがニートになったなら (生活人新書)

子どもがニートになったなら (生活人新書)

■読んだ本。21−22冊目。熊沢本はとにかく必読。「就労」が若年労働支援のゴールなどではなく、若年が「燃えつき」も「使い捨てられ」もせずに働き続けられるような職場環境の構築・整備――具体的には、「労働組合」という選択肢の創出!――こそが重要とのこと。「燃えつきるな、使い捨てられるな」という著者のメッセージが、厳しさを含みつつも、ただただ温かく、優しい。がんばろう、と思う。玄田・小杉本はまさに熊沢本が批判するところの「就労」への照準が特徴的。とはいえ、似たような支援の現場にある者としては、実感レヴェルでは共感するところが少なからずある。