僕のやさしさもだんだん齢をとる

ケータイ学入門―メディア・コミュニケーションから読み解く現代社会 (有斐閣選書)

ケータイ学入門―メディア・コミュニケーションから読み解く現代社会 (有斐閣選書)

■教科書リーディング8冊目。技術決定論を避け、社会構築主義的な視点から「ケータイ」をめぐるさまざまな事象を把握し、記述する。突っ込みが浅く、物足りなさだけが残る。

■午前、予備校(高等予備科)の講義が2コマ。午後、家庭教師のお仕事が3件。帰宅してあれこれの雑用を済ませ、ふっと気づけばもう日付けが変わっている。何ら進展のない1日。こういう1日を終えるときがいちばんキツい。こんなにも空虚で薄っぺらで取替可能な日々の積み重ねの果てに、いったいどんな場所にたどり着けるというのだろう。日常への意味づけなど自分次第だということくらい百も承知。だがその上で、尚もそう思うのだ。もしかして、自分は「誰か*1にわかって/意味づけしてほしい」のかもしれない。宙吊りになっている自分がいて、でもその糸を引っ張っているのもまた自分、という再帰的な立ち位置に疲れ果てつつあるのかもしれない。信号待ちの車内、街行く人々をぼーっと眺めながら思う。この人たちは、いったいどんな意味を、どんなやりかたで自らに供給することによって、自分とその世界を安定したかたちで保つことができているのだろうか。何でそんな楽しそうに、幸福そうに笑っていられるのだろうか。不思議でしょうがない。

*1:くれぐれもそれは「あなた」じゃないから余計なことは言わんでくれ。頼む。