生まれたての僕らの前にはただ

ヒトラー 権力の本質

ヒトラー 権力の本質

■Y先生の西洋史ゼミ合宿にお誘いをいただいたのだが、あと10日たらずなのでそろそろ予習に着手。ゼミで輪読したという上記文献を借りてきて読み始める。とりあえず序章を読んだが、なかなかに良書の予感。NPO活動の世界に首を突っ込んでから、自分の周囲に訪れたものたちに対しては、それが活動や事業(もっというと貨幣価値)に転換できるものなのかどうか、できるとすればそれをどう具体的に事業化していくか、といったような視点ばかりが突出してしまう。眼に映るそれらがもつ面白さや特異性を、そのままで楽しむということが、どうも最近できなくなってきているような。そんなことを思いながら読み始める。歴史学をやってた頃は、事業がどうこうなんて考えたこともなかった。ただひたすら、論理/物語構築の面白さだけを追いかけていたように思う。つくづく遠くまで来たものだ。
■深夜の邂逅。街外れのファーストフード店。まるで「時間旅行」だ。その人との対話においては、いつもいつも自分の中の未知の自分がふいに姿を現す。引きずり出された「それ」を見て、はじめて「それ」がそこにあったことに気づく。とかまあ、そんな感じ。新しい何かを共同で構築しているようで――そもそも「会話する」とはそういう過程である、とはエスノメソドロジーの偉い人も言っている――、それが今はとてつもなく楽しい。似たような楽しさや喜びを、その人もまた感じてくれていればいいな。「意識的に烏龍茶を注文しているな漏れは」とか思わなくもないが、「お前さぁ、己の/相手の立場を考えろよ」と脳内の超自我な人が五月蝿いのでまだちょっと思考停止。しかし、暴走する妄想の猛威により、タガは外れつつある。さてどうなるか。明日は酒田で社会学3年ゼミ。少し頭を冷やしてこよう。