実際そうなんだからそれでいい

L.D.K Lounge Designers Killer

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capsuleの新譜が出ていたことに今さらながら気づき、あわてて購入。やばい。聴いてると脳内で変な液が分泌されてきそうだ。「変な液」とか書くとまた「ごくまれ」の中の擬似関口な人とかにネタにされそうだが、まあよしとしよう。そのうち「ドコモダケ」の御礼参りに萌え本を贈呈するつもりなので覚悟して置賜おきたまえ。それにしても、社会構築主義とか言説分析とかオントロジカル・ゲリマンダリングとかエスノメソドロジーとか小難しげなことを小難しさを倍増させつつだらだらと嘔吐しているだけの(自分以外には無価値な)公開メモ帳エントリを、いかに身近な人であるとはいえ、読んでいた人がいたとは、正直いってちょっと驚きだったりするんである。「顔バレ」とはこういうことを言うのかしら(多分違うですかそうですか)。もしかして擬似関口の中の人は、社会学に興味があったりする人なのか(これも違うですかそうですか)。

■居場所で皿洗い中に現役女子大生K嬢とあれこれ話す。若い人と(ある程度)まじめな話しをするとすぐ説教くさくなってしまう自分がかなりウザい。ごめんなさい。「何だか前とは変わりましたね」(たぶん褒め言葉)とか言われるが、それはある種の連鎖反応であって、変貌の連鎖の震源のひとつはあなたでもあるのですよと小一時間。構成員の一部だけが成長する居場所なんてありえない、と私は思う。可能性の空間とは、スタッフだろうと利用者だろうと、その関係性にふれた人をそれぞれのしかたで変貌させ得る、そういった場所であるはず。その意味で、「人が育つ」環境をこそ構築していきたい。そんな思いが最近自分の中で明確化しつつある。人の変貌や成長を可能にする環境条件とはどのようなものであるか。明日の研修会にもつながる話だ。