ゼミという快楽。

東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ

東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ

■午後、W先生(社会学)の学部ゼミへ。そこの研究室では、学部の3年と4年が別々のゼミを構成しているということで、3年ゼミが木曜日、4年ゼミが金曜日に開講されておりました。よって、本日参加させていただいたのは4年ゼミ。5コマ目、16:40−17:50。参加者は、学生6名(女子学生5名+男子学生1名)に先生と私を加えた計8名。学生の1人が、冒頭で先生より「司会」に指名され、その人の司会進行で、ゼミが進む。ネタふりは2人。まず最初の報告者のレジュメ発表があり、それに関する質疑応答があり、最後に先生の側から議論のまとめと今後のアドバイスが続く。自発的な質問が出尽くしたところで、司会が一人ずつに質問を求める。その度ごとに報告者と質問者がやり取りし、そのやり取りに先生が時折介入して、文脈を挿入したり、話題を広げたり、あるいは調査手順や方法、文献等に関する情報提供を行う。といった感じ。2人目の報告は、ゼミ学生全員を巻き込んだある調査イベントの概要説明。こちらでは、報告者の説明に先生がツッコミを入れながら、各所の補足や肉付け、明確化を促すといった感じ。先生にその後の予定もあったためか、ほぼ予定通りにゼミは終了。
■以下感想。司会を毎回ランダムに立てるのは面白い。司会進行の役割を免除されていたためであろうか、W先生は比較的自由に上で述べたような役割をこなしておられるように見えた。「日曜ゼミ」でもこういう工夫は必要かも。ちょっとだけ違和感だったのが、レジュメに「参考文献」が記載されていないこと。何を「資料」として用いるのかが明記されていないこと。加えて、そもそもその研究のオリジナリティがどこにあるのか、先行研究の何が不満でどういう点をそこに付け加えようとしているのか等といった論文全体を統御すべき論理の軸が曖昧なままであること。対象としているのが、どのような時代の、どのような地域の、どのような階層/集団の、どのような領域なのか、それがいまだ不明確なこと。全て指摘しようとも思ったのだが、これは社会学自体がそうなのか、当該ゼミがそうなのか、あるいは報告者がたまたまそうだったのか、まだよくわからないので一部のそれに留めた。それにまだ参加させてもらって一回目だし。次回は再来週とのこと。また参加許可をいただいたので、参与観察させてもらおうと思う。
■いやあ、やはりゼミは面白いなあ。快楽であるなあ。そんなことを再確認しながらの帰り道。観察結果をあれこれ考察しようとしたときに、どうしてもその準拠点は、かつての専門であった「ヨーロッパ近世史」やそのときのゼミ経験になってしまうわけだが、そんな経緯から当時のゼミ運営に関わるあれこれをふいに思い出す。例えば、学部のはじめのころの西洋史ゼミでは、レジュメ報告者(大概はゼミ入りたての2年生)のほかにもう1人、報告者へのツッコミ担当(大概はゼミ古参の3年生)を1人置いていたこととか、当時のゼミでは、本格的な議論の前の準備体操として、ゼミ学生に輪番で2人ずつに「最近のゼミ関連の読書レポート」を口頭で義務づけていたこととか。当然ながら、あれもこれも「日曜ゼミ」に応用可能なわけで、そういうことも含めてあれこれ試行錯誤していきたいなと。
■ところで、このゼミ形式の学び(とその帰結としてのゼミ生の知的向上)というものを、ナラティヴ・セラピーの観点から記述してみるとけっこう面白いんではないかと思いますた。かつての自分がそうであったように、ゼミ形式の学びを通じて「主体的/能動的な自己(の物語)」というものを獲得できるとするなら、それはいかなるメカニズムによるものであり、いかなる条件がそれを具体的に可能にしているのか。などなど。「ゼミ形式の学び」のフィールドワーク。もちろんそこでの知見は「日曜ゼミ」の運営にも直接的に応用可能。ゼミが最大の快楽なのであれば、そのゼミを中軸にすえた活動なり事業なりを考えないでどーする!と、脳内の人が最近とくにうるさいので、そういうことも考えていこうかと。そういえば、前に読んだ、遙洋子『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』もまた「社会学ゼミ」への参与観察の記録なのであった。あらためて読み返してみよう。