「あきらめよ」と諭す回路に

It’s a wonderful world

It’s a wonderful world

■またもや濁流。15日(土)の「ひきこもり支援シンポジウム」参加報告とか、翌16日(日)の「日曜ゼミ」レポートとか、いろいろ書き記しておくべき事柄はあるのだが、とりあえず目下の課題を優先しなくちゃいけないので後回し。明日(つーか今日)は、早朝、中学生講座28回、29回の収録(今年度は歴史分野のみ担当なのでこれが終われば解放)。午前中はいつもの通り予備校高校予備科講義(予習を今終えた)。午後、居場所づくりの運営委員会。会議資料がまだあがっていない(というか、まだ手をつけていない)。助成事業の全体計画をそろそろ議案として出さなくちゃいかんのだが、これもまだ未着手。22日(土)の教研集会で報告するレポートも未着手。しかも危機感もなしお。やばいなあ。言い訳すると、今週は社会学ゼミがお休みなので何だか全般的にやる気が出ないんである。
■何やら予期せぬ渦巻きの中に少しずつ巻き込まれている気が。欲望の感染か。自分のなかに沸き起こりそうになっているあれこれがどこか懐かしい。どうせ巻き込まれるなら、「いま・ここ」からできるだけ遠くへ自分を連れて行ってくれる流れを選びたいなあ。選択の余地があればだが。でも、一方でこんなふうにも思う。「何度でも何度でも僕らは生まれ変わっていける」。本当にそうだろうかと。最近の自分がそんな空疎な言葉ばかり繰り返してしまうのは、結局のところ自分がどこへもいけず、何にも生まれ変われていないことの(裏返しの)証左に過ぎないんじゃないだろうか。何も始まっていないはずなのに、どうしてこんなに消耗してしまうのだろう。もう疲れたよ。