君の絵の具で濁った僕がいい

寝ながら学べる構造主義 ((文春新書))

寝ながら学べる構造主義 ((文春新書))

明日てゆーか今日の読書会のレジュメ作成。稲葉振一郎『経済学という教養』第1章。そこで話題になっている「ポストモダン」についての解説が自分の担当。せっかくなので、予備校の講義でも使えるように「現代思想ガイド」でも創ろうか。そんなふうに思って、まずは内田樹の例の入門書をまとめてみた。読めば読むほど、これは「内田樹思想」であって、それを「現代思想」や「構造主義」そのものとして読んでいいものかどうか、よくわからなくなった。かつて「宮台社会学」を読んでいた頃、それが「ルーマン社会学」や「社会システム理論」とどう関係しているのかわからず混乱し通しだったのを思い出す。随所で記される「私たちは「他者のことば」を語っている」というストックフレーズにもかかわらず、著者は明らかに「他者のことば」を利用しつつ「自らのことば」を語っているように思う。そもそもテクストなるもの、無数にあるはずの「他者のことば」たちの中から、あるものが選択され他のあるものは排除されるという編集や操作の結果として産出されているわけで、その操作=構築の政治性(編集責任)というものから、テクスト編集者は逃れられないはずだ。さてではこの「内田樹」という編集者の政治性はどこにあるのか。『寝ながら学べる構造主義』は(他のそれとは異なる)どのような「構造主義」を構築し(ようとし)たのだろうか。なんてことを考えていたら、夜が明けてしまった。寝ろよ、という話。