きっと正解もない

学生時代からの親友Aと久しぶりに飲む。人材派遣会社の管理職という立場から見える若年非正規雇用労働者の現状について、いろんな話を聞く。非常に興味深かった。おそらくはその教育者=管理者としての立場に由来するものであろう、「労働への前提を欠く若年の未成熟」と「厳しい指導による成長」という物語が繰り返し語られる。理屈としては極めて妥当だと思うが、しかしまさにそれがそのような正論であるがゆえに、私たちのような「居場所」運営者にはそれを公式に採用することは困難である。正論の隙間を埋める――正論とは異なる語り口(オルタナティヴ・ストーリー)を社会的に現前させること――のが私たちの仕事だからである。そういった語り口でしか接触不可能な世界こそが、私たちの対象だからである。そもそも「厳しい指導」が可能であるのは、雇用という、賃金を媒介にした動機調達のしくみが存在しているためで(対価を与えている以上、それに見合った労働の質/量を要求できる)、そういう前提がないNPO/市民活動としては、その活動が有する意味論的/物語的な魅力によって人材を確保し、育成していかなくてはならない。*1貨幣による動機づけ/物語による動機づけ。上下関係に基づく動機づけ/水平関係に基づく動機づけ。Aのような立場の人びとの語り――体育会系の語り――に拮抗しうるような水準にまで、後者の方法や実践を徹底的に鍛えあげなくてはならないと思った。

*1:もしそういう場で「厳しい指導」が可能であるのだとすれば、それはその「厳しさ」の意味や効用をめぐる理解が対象者にも共有されている場合に限られるわけで。でなければ対象者は単なるマゾヒストである。