『老いる準備』/『「資本」論』

老いる準備―介護することされること

老いる準備―介護することされること

介護保険制度の意義を「措置から契約へ、恩恵から権利へ」と位置づけ、その契約相手=サービス提供者としての市民事業体(NPO、ワーカーズコレクティヴなど)について、その現状と展望とを論じる。著者は「介護の社会化=脱私事化」の延長に「育児の社会化=脱私事化」をも構想するが、さらにそれを敷衍するなら「教育の社会化=脱学校化」というのもありだと思う。脱学校化とは、市場化ではなく社会化のこと。育児給付にならって、教育給付。それを用いて、林立する多様な教育サービスから各自が最適なそれを選択する。内藤朝雄『いじめの社会理論』が描くリベラルな教育=社会構想とも重なる。介護保険の達成と問題とを補助線に「教育の社会化」について考えてみよう。とか思った。


「資本」論―取引する身体/取引される身体 (ちくま新書)

「資本」論―取引する身体/取引される身体 (ちくま新書)

資本主義のしくみが生み出した労働者、とりわけ無産者を「労働力=人的資本」なる財産を所有する主体であると擬制することで、資本主義のしくみ(とそれをふまえた社会契約/国家権力)のなかにその成員として包摂しましょう。というのも、そういう擬制を維持することが、国家なり資本なりの個々の人格やら内面やらへの直接介入(=「剥き出しの生」扱い)をブロックする防波堤になりうるから、というもの。基本的に「社会思想史入門」の本としておもしろく読んだ。しかしながら、本書をめぐっては激しい批判もきこえる。(本書の位置づけも含め)それらをどう考えるかについては、正直よくわからない。判断できるだけの知識や思考が自分の側にない。圧倒的な勉強不足。これをきっかけにしていろいろ読んだり考えたりしてみる。