阿部和重 『阿部和重対談集』

阿部和重対談集

阿部和重対談集

東根市出身の芥川賞作家である著者の初めての対談集。九七年の『インディヴィジュアル・プロジェクション』から、虚構の街「神町」を描いた大作『シンセミア』を経て、咋年の芥川賞受賞作『グランド・フィナーレ』に至るまでの、著者の歩みが一望できる。対談相手は、作家の保坂和志高橋源一郎角田光代など。山形出身の批評家・加藤典洋の名前も見える。
各対談の初出は、文芸誌上に掲載されたものが主で、新作のプロモーションとして語り下ろされたものである。だからこそ阿部は、未読の読者の存在に配慮し、その自由な読みを妨げぬようにと、自らの作品解釈を最小限にとどめようとするのだが、これがうまくはいかない。気がつけば対談相手にのせられ、極めて饒舌に自作の解釈を披露してしまう。とはいえ、幾重にも批評性が織り込まれたその解釈論は、読みの可能性を減じるどころか、凡庸で陳腐な読みに陥りがちな私たちに、多様で豊かな解釈へのヒントをむしろ与えてくれるものである。二重のズレの結果、非常に貴重な批評となっているのだ。ここに本書の面白さがある。
しかもこのズレこそ、私たちが阿部作品のなかで頻繁に目にする登場人物たちの振る舞いそのもの。そう、奇妙なことにこの対談集、まるで作家「阿部和重」自身を登場人物とした阿部作品としても読めてしまうのである。自らの置かれた現実の平板さを埋め合わせるかのように過剰な饒舌を弄するものの、あえなく破綻し暴発へと至る人びと。だがその暴発=カタストロフすらも不発、と何もかもが意味をズラされるのが、阿部作品に共通する構造である。本書の登場人物「阿部和重」もまた、同様に上滑り気味の饒舌の果てに自爆する。まさに本領発揮だ。
そんな著者が、次なる課題として語るのが、『シンセミア』に続く「神町サーガ」の第二作目だ。実在する虚構の街「神町」が今後どう描かれていくことになるのか。神町の住人として、今後も阿部の構築する「神町」の行方からは目が離せそうにない。*1

*1:山形新聞』2005年9月25日 掲載