「不登校の居場所」から遠く離れて

不登校の居場所」という語彙。当初は「不登校」への自らの関与を正統化するために「居場所」なる契機が強調されてきた経緯については先に述べた通りだ。だが、フリースペースSORAとしての運動/活動の履歴がある程度蓄積されてくるにつれ、そこではある転倒が生じてくる。「不登校」への関与を正統化するための「居場所」動員というものから、「居場所づくり」の正統=嫡子の立ち位置のために「不登校」(あるいは非当事者)なる言説資源を動員する、というものである。これはどういうことか。
2002年夏、先に述べたさまざまな変化と並行して、SORAの運営者の間では次年度の団体運営をめぐり、ある分裂――これがのちに、滝口をSORAから離反させ、「ぷらっとほーむ」という居場所づくりのオルタナティヴへと動機づけることになる――が生じる。想定される財政的な難局を前にどう対処していくかという問題を協議する場として、参加者公募で開催された「今後のSORAを考える会」だが、従来の理念を維持したままで今後を考えるか、それとも従来の理念を書き換えて今後を考えるか、この二点で対話は平行状態へといたる。ここでいう従来の理念というのが「不登校の居場所」で、つまりは「居場所」としてそれなりの正統性を産み出してきたその場所で、今度は「誰」をその帰属先とするかをめぐってのヘゲモニー抗争が生じたわけである。
この抗争における滝口の立ち位置はどこにあるのだろうか。前節で述べたとおり、彼は「非当事者主義」「居場所の癒し」物語への依拠から、「居場所」の帰属先を「不登校」のみに限定せず、その外部――「非当事者」――にまで開放しようと構想している。これは従来の「親の会」立の「不登校の居場所」という基本理念からは完全に逸脱しており、この立場がSORAの内部で探られ続けていた場合には、SORAが蓄積してきたさまざまな支援資源をめぐって、深刻な内部対立へと至ってもおかしくない状況ではなかったかと思われる。だが、その対立はこの時点では回避される。滝口は、SORAを離れ、SORAの外部で「非当事者主義」による「居場所の癒し」物語の現実化を模索するようになっていく。かくして、2002年夏以降、「居場所づくり」をめぐる状況はあらたな段階へと静かに入り込んでいったのである。『SORA模様』誌上での居場所論言説に見られた「居場所の社会化」なる傾向も、こうした政治状況の変容と連関し、それらと相互規定関係にあったということも改めて確認しておきたい。
さて、現実の行為においても理念においても、これを契機に、滝口は「不登校の居場所」から離れていくのだが、この離反は、客観的に見て団体のイメージ戦略上十分マイナス要因になる可能性を秘めていた(内ゲバ*1)。このあたりを彼はどのように言説化しているか。当時の彼の言葉を引用する。

不登校の経験者でも親の会の如き支援者でもなかった僕が「フリースペースSORA」という居場所づくりの活動に関わろうと思ったのは、きわめて個人的な動機、すなわち僕自身が当時何らかの居場所を欲していたためで、そういう人間をも受け容れてくれた仲間たちには本当に感謝している。当時の僕のような、「不登校」「ひきこもり」などのわかりやすいレッテルを有してはいないけれども居場所を欲している、といった子どもや若者たちが、実はたくさん存在しているのだと思う。残念ながらSORAは不登校支援が目的であるため、しばしば届くそうした人たちの求めに応じられない場面も多かった。僕自身が居場所に救われた一人であったから、このことは余計にきつく感じられた。フリースペース内部に過度の多様性=流動性を抱え込むことは、実は非常な困難を伴う。それは居心地の悪さにもつながり得るためだ。ではどうするか。単一のフリースペースが内部に多様性を抱え込めないのであれば、多様なフリースペースが複数存在する状況をつくるしかない。SORAとは異なるもうひとつのフリースペースを創ること。それが、悩み苦しんでいる子どもや若者たちのための選択肢を確保するために、僕たちが出した結論だ。これからはまた別の「居場所」を創っていくことになるが、目指すもの(若年のための多様な社会的選択肢の創出)はSORAの仲間たちと全くかわらない。*2

ここにあるのは、SORAを肯定しつつも、そこから自らを差異化するロジックである。鍵となるのは「多様さ」の積極的肯定。「学校でも家庭でもない第三の居場所」を標榜して開始されたフリースペースSORAは、ここにきて、さらに彼らが多様化の先に進んでいくためのステップボードのような位置づけをされている。「学校でも家庭でも不登校の居場所でもない、第四の居場所」というわけだ。ここにきて、滝口の視点や関心は「ひとつのフリースペースをいかに運営するか」から、「多様なフリースペースが複数存在する状況」へと完全に移行。「もうひとつのフリースペースを創る」とは言いながらも、そこに見られるのは、もはや「居場所をどうつくるか」に限定されない「居場所づくりをどう支援していくか」という視点なのである。

*1:このときの滝口の離反については、それが客観的に見て「内ゲバ」だったのかどうか、特定することは困難である。ある人の利害や関心からすれば純然たる「内ゲバ」なのだろうし、そうでない別の人からすればそうでないのだろう。特定すること事態が、ある特定の立場に立った政治であるとだけは言っておく。要は「そのこと」について当時誰がどのように発言し、アリーナ(の大部分)がそれをどう解釈し、その後にいたるまでどのように語り継いできているのか、である。

*2:http://d.hatena.ne.jp/takiguchika/20030331