定義行為のはじまり

居場所づくりの正規メディア『SORA模様』の誌面分析をしていくと、2002年6月〜7月号の頃より、滝口さんの言説戦略に従来にはない幾つかの特徴が見られるようになる。『SORA模様』2002年6月号より、「当事者」すなわち不登校の親/子からのメッセージの占める割合がやや減少し、その代わりに、居場所づくりの活動/運動を財政的に支援する「財政支援者(スポンサー)」に関する記事――○○さんから財政支援を受け取った等――が定期的に掲載されるようになる。また、2002年7月号より、滝口さん自身による居場所論「フリースペースSORAとは何か」が連載されるようになる。こうした誌面の変化に現れた、当時の言説=政治とはいかなるものだったか。
まずは前者の「財政支援者(スポンサー)」記事から見ていこう。掲載にいたる意識変容とその背景について、当時の滝口さんは次のように書いている。

もともとSORAは、親たちの団体「不登校親の会山形県ネットワーク」が、不登校の子どもたちの居場所として設立したフリースクール不登校・ひきこもりの問題に悩む親たち(つまりは当事者)が、自分たち自身で直接不登校・ひきこもりの子たちを支えていこうとして創設したものです。開設後のフリースペースの運営も、基本的には当事者である親たちが自分たち自身で支えていくべきという発想でやってきました。/ところが、こうした当事者主義の発想では、通ってきている子どもたちの保護者のみが居場所を維持するための財政負担を過度に背負ってしまうことになります。結果的に負担が大きくなり敷居が高くなってしまって、利用しづらくなっているという逆説。これでは、金銭的に余裕のある家庭の子どもしかフリースペースにアクセスできないことになってしまいます……(中略)……不登校・ひきこもりに悩む子どもや若者たちの支援は、社会全体が真摯に取り組むべき課題であると、SORAは考えます。であるが故に、この問題への取り組みというのは、社会全体が支えていくべき類のもの。一部の当事者だけで支え続けられるものではないと思うのです。/そうしたことを考えていた矢先、SORAの理念や活動を理解下さる一般の方々数名より、居場所づくりの活動を今後も地域社会の中に維持し続けていってほしい、そのためにも定期的に財政援助をさせてほしい、との大変ありがたい言葉をいただきました。直接の当事者であるわけではない、それでも、自分たちの住むこの社会を、自分たち自身の関与によって少しでも皆が生きやすい社会に造りかえていきたいという、その想いがとてもとても温かく、これまで突き当たってきた辛さや苦しさが一度に昇華されたようなそんな気分でした。こうした市民の方々の想いがうまく合流すれば、きっと私たちは自分たち自身で社会をより良く変えていける。そんなふうにも思いました。*1

ここで語られているのは、「脱当事者主義」とでもいうべき語り口である。前節までに見てきたように、既存の「不登校親の会」からの切断とそれゆえの正統性不安を埋め合わせるために、滝口さんは、表立っては、新たな「不登校親の会」を立ち上げるための取り組み(「不登校当事者=不登校親・子」の当事者主義)を行い、その一方で、「親の会」に依らない正統な語り口の回路(「不登校当事者≒学校被害者」の当事者主義/「不登校当事者≒居場所経験者」の当事者主義)を模索する。そこで密かに探られていたのは、既存の「当事者主義」に対するオルタナティヴな「当事者主義」なのだが、ここではさらにそれを突き抜けて、「当事者と何の代表/代理関係もないけれど、それを支援する人たち」という「脱当事者主義」の語りが生成している。
もちろんこうした言及は、第一義的には、実際に支援してくれた「財政支援者(サポーター)」への感謝の表明を意味しているわけだが、それを団体の正規メディアの誌面上で行うということの「政治」的な意図を見落としてはならない。そこにあるのは、「財政支援してくれる人たちがいる、つまり社会的な意義=正統性がありますよ」という「正統性」確保戦略なのである。これを「財政支援者の存在」物語と呼んでおこう。
また、この「財政支援者の存在」をめぐる語りの登場と安定化と同時に生じているのが、新たな「不登校親の会」立ち上げの断念である。両者の関連についてまとめると、正統性不安への代替という点において、新たな「不登校親の会」に代わって、「財政支援者」が正統化の役割を担うようになってきたのだということである。誌面に占めるそれぞれの記事の割合の変化は、そうした「正統性」の重点移動の、ひとつの表れなのである。そしてこの重点移動は、もうひとつのより意義深い変化と連動している。もうひとつの変化とは、正規メディア『SORA模様』誌上における、積極的な「居場所づくり」言説の構築開始、滝口さんによる「フリースペースSORAとは何か」と題された居場所論の連載開始である。
だが、『SORA模様』の居場所論連載を検討する前に、正規メディアとは別の場所で滝口さんが残した、当時の重大な語り口の転換について引用しておこう。

実のところ、なぜ自分がこのフリースペースというものに関わろうと思ったのか、そしてなぜそうした活動をさまざまな苦労や責任や面倒を背負い込んでまで続けようとしているのかは、自分自身にとってもまるで自明ではない。そんな感じだから、「なぜ?」という例の問いかけは、ぼくには正直苦痛だったりもした。はじめのうちは、「学校での不登校対策のありように納得がいかなかったから」とか「実は講師時代自分も不登校予備軍だったから」とか、ありきたりの「わかりやすい」答えでお茶を濁してきた。だが、そうした紋切り型の受け答えをしながらも、自分のなかで、自分自身に対する「なぜ?」をごまかせなくなってきていた。そろそろきちんと自分と向き合って、自分なりの答えを見つけなきゃいけない。そう思った。*2

ここで滝口さんは、それまでさまざまな場所で開拓してきた語り口のひとつ、「教師としての不登校」物語を「紋切り型の受け答え」として否定、「自分なりの答え」を定義しようと試みている。さて、ではその模索を通じて、彼はいかなる物語を採用することになったのか。引き続き、テクストを追いかけてみよう。

大学卒業後2年間勤めた学校という職場に対する違和感というのは全くその通りだ。だが、ぼくは在任中不登校問題に深くコミットしたことはない。関心がなかったわけではない。しかし、自分が関与すべき問題だという認識はなかった。だとすれば不登校という要素は、ぼくがフリースペースに関与し始めた主要因ではまるでない……(中略)……学校の中に居場所を見出せなかった当時のぼくは、ありのままの自分で居られる居場所や本音で語れる仲間たちを強烈に欲していた。そしてそれを(まったく幸運なことに)フリースペースというかたちでの居場所づくりをすすめていた人たちのなかに見出したのだった。学校という職場で孤独に苦悩していた自分が、ここではありのまま受容され一個の人格として尊重される、ということの貴重さ。それを、ぼくはこのフリースペース活動を通して、自分自身において体験した(そして今もしている)わけだ。だとすれば、先の「なぜ?」に対する答えは次のようになろう。「それは、そこがぼく自身にとっても居場所であるからだ」と。これが現時点でのいちばん正直な想いということになろうかと思う。/そう考えると、最初に述べた「(不登校・ひきこもり経験もない)わたし」という自己像に修正が生じる。確かにぼくには不登校経験もひきこもり経験もない。経験者として内側からそれらについて語る資格はぼくにはない。しかし、「居場所に癒された経験」はあるわけだ。だとすると、居場所(=フリースペース)の経験者として語る資格は、少なくともぼくにはあることになる。しかもその癒しは、何も不登校の子どもたちやひきこもり青年にのみ該当するものでは決してない。それは、どこかで生きづらさを抱えていたり、違和を感じていたりするような、つまりはどんな人にでもあてはまるものであろうと思う。だとすればなおさら、不登校でもひきこもりでもない自分のような者が居場所について語ること(そして実践していくこと)にこそ、意味があるのかもしれない。*3

ここでは、上述の通り「教師としての不登校」が否定され、それに代わってもうひとつの可能性としてあった「居場所の癒し」物語が「現時点でのいちばん正直な想い」として正統化され、それが、先に述べた「非当事者主義」――不登校の親・子と代表/代理関係にない者(他者)として居場所に関わるありかた――に連結されているのがわかる。「非当事者主義」によって「居場所の癒し」物語が、よりいっそう強化されているわけだ。

続く