『メディア文化の街とアイドル』

山形新聞』紙上でも繰り返し紹介されている「酒田発アイドル育成プロジェクト」、通称「SHIP」。各地で流行している地方発アイドル企画のなかでも、地域商店街がその活性化をねらいとして企画運営を行う「コミュニティ・アイドル」事業であるという点で、「SHIP」は非常にユニークな試みである。本書はこのアイドルグループとそれが地域にとってもつ意味や機能を、商店街のフィールドワークをもとに社会学的に分析し、それらを踏まえたうえで今後の地域づくりのありかたを構想した、これまた非常にユニークな試みである。

地方都市活性化の現状をめぐる本書の分析は、次の二つを対象としている。

第一に、地域空洞化の最前線にある現場の若者たちや商店主たちの声をひろうこと。それらの生の声のなかに、地域の抱える課題やその解決策を探ろうとするものだ。当然ながら、現場のことは現場の当事者がいちばんよく知っている。だが私たちは、現場の人々が何に苦悩し何を感じているのかについてあまりにも無知だ。あるのは中央マスメディアが流布させる紋切り型の貧相なイメージのみ。だが、「社会問題」への対処は、まずは何が「社会的事実」なのかを丁寧にすくい上げることからしか始まりえない。

さらに、現場に関する私たちの無知は、それをめぐる根拠なきイメージを横行させる。中央マスメディアがさらにそれを加速させるという構造。そこで著者は、第二に、現場にいない人々が現場をどう表象しているのか、その実態をも明らかにしていく。首都圏の学生400人を対象とする意識調査は非常に示唆的だ。全文が掲載されたこの質問紙調査の回答を丁寧に読んでいくと、地域の内部にいては死角になっていて見えない「外部視点からの自己像」がおぼろげながら浮かび上がってくる。そこを手がかりに、著者は今後の地域商店街の活性化戦略を構想していく。

地域商店街の空洞化を加速させる郊外型ショップの進出は、社会学的に見るなら、地域の人々の「日常的な消費生活」の機能が、従来の担い手である地域商店街から、郊外型ショップに負わされるようになってきたことを意味する。商店街は「日常」ではなくなったのだ。調査対象となった若者たちの声は、商店街に、この「非日常性」の自覚が欠けていることへの不満に満ち溢れている。この流れを逆行させようとするから無理が生じる。ではどうするか。地域商店街を、人々の「非日常的な消費生活」の機能充足の場として、新たにデザインし直すこと――これが、著者の地域活性化構想のグランドテーマである。

そしてその「非日常性」の鍵となるのが、著者の言う「メディア文化」であり、本書の対象となった「SHIP」、そしてそれに先行する70年代のメディア文化の拠点「グリーン・ハウス」である。メディアとは、媒介することであり、つなぐことである。それまで分断されていた他者どうしがそれをきっかけにつながりあい、新たなコミュニケーションが生まれていくということ。そうしたコミュニケーションの媒介項――しかもその地域オリジナルの媒介項――を創出し、そこを拠点に地域オリジナルの価値を発信していくこと。

そこには、中央から地方へという、従来の一方向的で中央集権的な情報流通システムに対するアンチテーゼが存在する。中央から地方への流れと並んで、地方から中央への情報や価値の流れを創出することは、近代日本のありかたそのものの再考にいたる広い射程をもつ。本書の問題提起もまた、そうした幅広い関心領域に連続している。言い換えるなら、本書が対象とする「商店街活性化の現状」とは、地域やまちづくりの縮図であるとともに、後発近代化国家としての近代日本が前提にし続けてきた中央/地方の格差の縮図でもある。その意味で、本書が読まれるべき仮想対象読者は、非常に多岐にわたると思う。

「SHIP」の、そしてそれを支える酒田市中町商店街の人たちの「船出」はまだ始まったばかり。彼(女)らがいかなる「新大陸」を探り当てることになるのか、その行方を、同じ地方都市に住む親近感とともに、あたたかく見守っていきたいと思う。本書に媒介されて、どうやらすっかり私も「SHIP」をめぐる、そしてまた「地域商店街」をめぐるコミュニケーションに接続されてしまったようだ*1

SHIP 公式HP

*1:これって、「電車男」とそれを応援する「2ちゃん住人」の「友情」に感動する、という『電車男』の基本構図と瓜二つな気が。