聖霊の有無

今日は、仕事が突然キャンセルになってしまったので、山形大学図書館に入り浸って読書にはげんでおりますた。開架本がしょぼすぎて使えないとことか、利用してる学生がみんな居眠りしてるとことか、司書のおねーさんがやる気なさげなとことか、全体的にどこか陰気臭い雰囲気とか、かつて院生時代の自分が過ごした日常そのまんまの空間だったりもするわけで、あまりの懐かしさに息苦しささえ覚えてしまう自分がいました。初めて目玉が転げ落ちた空間。今の自分が生まれた場所。一般開放しているとのことだったので、常連として通いつめようと思いますた。少なくとも、県立図書館よりはずっと居心地がよい。

その後、恩師のY先生(ドイツ近代史)と、集中講義で来ていた東北大時代の恩師S先生(オーストリア現代史)との三人で飲み会。この二人は、東北大の西洋近代史ゼミの兄弟弟子ということで、当時の研究室の話だとか、教授の指導の話だとか、いろいろとおもしろい話がきけた。なんていって油断していたら、Y先生より、いきなりの爆弾投下。

「キミもそろそろ身を固める気はない? 紹介したい人がいるのだけど」

うげげ。そういやあ前にもそんな話をふられたことがないわけではなかったのでした。軽い冗談だと思っていたけど、そうでもなかったらしい。不意を討たれ、絶句。とりあえずゲストもいるし、適当にごまかして話をはぐらかそうと画策したのだが、当のゲスト氏が「いやあ研究も人生も偶偶然自分のもとに現前する他者こそが貴重。Yさんのもきっとそうした他者の類だから会っとけ」などと謎のフォロー。成り行きで口約束させられてしまった。うーん。

30代シングルに対する「恋愛/結婚しろ!」といった意識的/無意識的な圧力を、いかに波風立てずにかわしていくか。正直に「結婚という制度がイヤ」って言ったとしても、理解しても納得してももらえなさそう・・・・・・とかなんとか考えていて思った。何でぼくらはこんなにも「恋愛/結婚せよ」という制度や規範に縛られなくちゃならないんだろう。「少子化防止=産めよ増やせよ」的言説による追い風効果はあるにせよ、それだけじゃなく、ぼくらを「恋愛/結婚」へと煽り立てるこの作用はいったいなにゆえのものなのだろうか。「恋愛」の知識社会学が必要か?