さよなら。どうもありがとう。

どうやら結論が出たらしい。距離のあるおつきあいだったとはいえ、かつて自分の苦境をも救ってくれた人なわけだから、いなくなってしまうらしいとわかったとき、一抹の寂しさが残った。恩返しがしたかったな。せめて、「ありがとう」ってちゃんと伝えたかった。でも、忘れてはいけないこと。残った人たちはきっとあれこれたいへんだ。信じて待ち続けた人が「さよなら」を選んだことに、いろんな思いを抱いていることだろう。ぼくもまた残された側の一人。残された側の人間にできることは、ただ「続ける」ということ。去ったはずの人が何かの気まぐれでまた近くに立ち寄ってくれたときに、それを迎え入れてやれる場を、いつかはわからないそのときまで保持し続けることだけだ。「ありがとう」は、そのときに伝えよう。
あるときいっしょに生きていたはずの人たちが、いつのまにか離れ離れになっていく。人はみなひとり、いずれ異なる道を行く。それぞれが選択したそれぞれのレールをやがては歩んでいくことになるのだ。そんなことは知っている。きっと今何らかの巡り会わせで偶然にも自分とともにある人たちも、いずれはそれぞれの居場所を見つけてどこかへ去っていく。間違いない。だがそのとき、自分はその人たちの「選択」を、その「自己決定」を、温かく祝福してやることができるだろうか。笑顔でその出立を見送ってやることができるだろうか。彼らを見送った後、再び自分の持ち場に戻って、作業を続行することが果たしてできるのだろうか。

 あれから1年も(しか)?

「教育と社会」読書会、第13回目が終了。企画してからもうすぐ1年。3冊目の、広田照幸『教育言説の歴史社会学』がもうすぐ読了。割と長かったな。

教育言説の歴史社会学

教育言説の歴史社会学

レジュメ担当箇所は「第10章 学校像の変容と〈教育問題〉」。〈教育問題〉を語る際の語り口や立ち位置が、70年代の前後で変化。以前は、「文部省・自民党 対 日教組(教師)・親」図式、つまり「国家による中央統制 対 教員の自立性確保」という対抗軸の一環として語られていた〈教育問題〉が、70年代を経て、「教員・学校 対 親・子」という対抗軸を前景化。学校内部の具体的なありようにむかう視線が生成、学校の日常や関係性そのものを〈教育問題〉として構築していくようになる、というもの。「登校拒否」運動もまた、完全にこの文脈で進行。東京シューレの言説実践もまた然り。対立軸の「親・子」の側に立ち、その代弁者として振舞うことを期待されるその立ち位置ゆえに、彼らは「脱学校」言説を洗練させるよう動機づけられているのではないか、またその一方で、その図式に縛られているがゆえに彼らは「学校」をめぐる言説空間から容易には離れられないのではないか。もうひとつ、東京シューレが「スタッフの専門性」を展開しない――その陰画としての「子ども・親の自治」言説――理由もまたこの辺りにあるのではないか。「スタッフの専門性」を言い出した途端に、それはかつての「教員・学校 対 親・子」図式の「教員・学校」の立ち位置に重なってしまうわけだし。とか考える。
経済学という教養

経済学という教養

次のテキストも決定。4冊目は、稲葉振一郎『経済学という教養』。え、読書会のお題って「教育と社会」だよな? とかいうツコーミは不受理。読書会の進めかたに関しても、いろいろと工夫が必要だということを確認。もう数人いればいいのにねとか、でも火曜の日中なんて、みんなひまじゃないしねとか。