ネオリベくん、気をつけて!

■現在ぷらほでは、山形県市町村課からの委託事業「若者の移住受入体制支援事業」として、UJIターンの若者たちが気軽に集えるコミュニティづくりに、そしてまた山形市コミュニティファンドからの助成事業「非正規雇用の若者たちの居場所/学びの場づくり事業」として、不安定労働の若者たちが集まるコミュニティづくりに取り組んでいる。前者のメディアがミニコミ『ひまひま』[村山版]/『もあ』[庄内版]、後者のメディアがミニコミ『ハタラクワタシ』である。
■コミュニティを立ち上げるためのツールとして、メンバーが企画・執筆・校正・製本・頒布など冊子制作のさまざまな局面に関与できるミニコミという媒体を積極活用するというアイディアは、川西町フレンドリープラザを拠点に活動する置賜地方の若者たちの文化系サークル「ほんきこ。」に学んだものだ。地域的な文脈の違いもあるので同じようにうまくいくとは限らないが、まずは実験してみようということで、ミニコミを介したコミュニティづくりに取り組んでいる。
■委託/助成事業を進めるなかで、ミニコミのありかたをめぐり、関係者の間で認識のずれが表面化する場面が何度かあった。掲載記事を限定し特定のカテゴリーに特化させようという意見に対し、私たちがこだわったのは、誌面を多様で多彩なものにするということだ。さまざまな視点や価値、人びとの複数性、世間的な通念や常識との差異を積極的に肯定し、それらが現前するための場を提供すること。そうした機能が備わっている空間にこそ、人は引き寄せられるためである。
■思想家ハンナ・アーレントは、人びとがそれぞれ取り換えのきかない「誰か」として姿を現す複数性の空間を「現われの空間」と呼び、そうした場にこそ公共性が宿るとした。ミニコミもまた、それが多様な人びとを引き寄せ、包摂するコミュニティであろうとするなら、「現われの空間」であらねばならない。とすれば、特定のカテゴリーを設定し、それに該当する記事だけを集めるというようなふるまいは、コミュニティづくりというミッションにとっては自殺行為に等しい。
■これは、どのような立場であっても、ネオリベ的な発想が決まって陥りがちな短絡である。確かに、対象となるカテゴリーの人びとだけに向けた無駄のない情報発信は、いっけん効率的な感じがする。だが、隙のないもの、遊びのないものに、人は容易には惹かれないし動機づけられもしない。それでは、届けたい人たちにさえ届くものにはならないだろう。無駄なものこそ最も効率的――こうした逆説を理解できる知性と受容できる覚悟こそが必要なのだと思う。*1

*1:『ぷらっとほーむ通信』103号(2011年11月)