異文化理解としてのコスプレ

■去る12月25日、カフェ・フォーラムにて、「ぷらほ」主催の「クリスマスコスプレパーティ」を初開催した。会場には、クリスマスにちなんだ衣装やアニメ/ゲーム/マンガ/映画のキャラクターの衣装、職業に関連する制服などを身にまとった色とりどりの老若男女30人ほどが集まり、それぞれのコスプレをめぐって語りあったり、互いに写真を撮影しあったりと、楽しく盛り上がることができた。私自身、女子高生のセーラー服のコスプレを思うさま堪能できた。
■こんなふうに書くと、「ぷらほ」の人びとのきわめてローカルな嗜好や欲求を満たすためだけに企画された「キワモノ趣味」的な場、と誤解されてしまうかもしれない。だが、私たち「ぷらほ」は、若年の学びや気づきをそのミッションとする市民活動団体である。今回のコスプレ企画も、当然ながら、そうした学びの機会提供と位置づけている。とりわけ重要なのは、男子メンバーに多い女子服コスプレにおける学びと気づきである。そこにあるのはいかなる学びか。
■個人的な体験も交えつつ書こう。私(たち)が参加したコスプレパーティは、スタッフの松井が「ぷらほ」とは異なる活動ユニットで企画した昨年5月のそれが端緒である。今回同様、男子メンバーの大半は女子服コスプレ。そのときは、おそるおそるの「お試し」といった感じで、コスプレ衣装も当日の化粧も、女子スタッフや女子メンバーの手で準備してもらったのだったが、今回は、それぞれがより主体的に衣装を準備したり化粧したりするなどしてコトに臨んだ。
■この「主体性」は、当然ながら、男子メンバーたちが女子服コスプレを通じて得た快楽(面白さ/楽しさ/心地よさ)に起因する。では、そうした快楽は、女子服コスプレの何に由来しているのだろうか。私見によれば、おそらくは二つの要因がある。すなわち、第一に、「男らしくあれ!」という檻――「ジェンダー規範」とも言う――からのつかの間の解放という契機、そして第二に、女子=他者の文化に関する異文化体験がもたらす知的刺激という契機である。
■実際にその境遇に身を置いて、その人びとと同じ体験をしてみなければ、想像力が及びづらいことというのは確かに存在する。私自身、セーラー服やウィッグ、化粧品などを実際に購入し、それらを上手に着用しなければならないという境遇に身を置くことで初めて、そうした女子の文化の大変さや豊かさを内側から理解することができたように思う。その意味で、コスプレは、学びと気づきの宝庫だ。今後もなお、この方面での学びの機会を拡充していきたい。*1

*1:『ぷらっとほーむ通信』093号(2011年1月)