「思考の空間」としてのゼミ

■現在、メンバーたちと進めている学びの場づくりのひとつにゼミがある。ゼミとは、大学の演習などで採用されている学びの形式で、レポート担当者が事前に準備してきたレジュメ報告などをたたき台に、参加者全員で議論しながら論点を深めつつ学んでいくというものである。今年度に関して言えば、隔週木曜に「ぷらほ」で開いている「よるぷら社会学ゼミ」の他、東北芸術工科大学の片桐研究室の方がたと合同で開催している「エスノメソドロジー読書会」がある。
■これまでも「ぷらほ」では、「社会ゼミ」(2007年度)や「戦争ゼミ」(2008年度)、「NPO・市民活動入門ゼミ」(2009年度)など、「ゼミ」と名づけられたハードルやや高めの参加型の学びの場を主宰してきた。だが、今年度の上記の二つのゼミには、従来のそれらとは異なる新しさがある。両者の違いを簡単に述べるなら、それは「テーマへの継続的なコミットメント(関与)」の有無ということになる。これはどういうことか。
■これまでのゼミでは、基本型として、参加者各自が、テーマに即して選んだ文献を事前に読み、書評の形式にまとめ、ゼミの場で発表し、それをたたき台に他の参加者と議論を行い、最後にその議論を踏まえたリライトを行って書評を完成させるという学びを組み立ててきた。そこでは確かに「読み・書き・発表」のトレーニングが行われており、それはそれでとても貴重な機会なのだが、そこには、そのテーマをめぐる他者との格闘や対峙、つまり「思考」の契機がない。
■「思考」とは何か。私たちなりにまとめるとこうなる。すなわち、あるテーマに関して、自分以外の他の人びとがどのような捉えかたや評価をしているのか、それらの長所と欠陥はどこにあり、自分のそれとどこまでが同じでどこからが違うのか、既存の捉えかたのどこに問題や限界があり、それに対して自分はどのような新たな視点や発想を代案提示できるか――こうした問いに対し、自分と他人とを納得させられるような「とりあえずの答え」を模索・構築することである。
■そう考えると、今年度のゼミには、「思考」の契機があふれていることに気づく。ゼミ論を書くために各自がそのテーマを論じている先行研究の読解に取り組む「よるぷら社会学ゼミ」然り、ひとりの社会学者の論文集をじっくり読み込むことで「何かを主張するということ」の構造や型を解剖学的に学ぶ「エスノメソドロジー読書会」然り、どちらも、テーマへの長期的な関わりを前提としている。そこで何が産まれつつあるのか、引き続き観察していきたい。*1 

*1:『ぷらっとほーむ通信』092号(2010年12月)