「不登校/ひきこもり」って言うな!

■半ば私事になるが、今月の18日、関西大学で開かれる「日本教社会学会:第62回大会」のテーマ分科会「若者支援の現状と課題」で研究報告をすることに決まった。若者の現在をテーマに精力的に研究・執筆活動を展開する本田由紀さん(東京大学)の提案により実現した分科会であり、マクロ・ミドル・ミクロそれぞれの現場における若者支援の現状と課題に関する社会学的知見を持ち寄り、共同で今後の支援のありかたを探るというのが目的だ。
■筆者の報告タイトルは、「「居場所」はどのように達成されているか:民間フリースペースにおけるスタッフの環境統制ワークに着目して」というもの。フリースペースというコミュニケーション空間における、スタッフと利用者、あるいは利用者どうしの相互行為に焦点をあて、そこに参加する人びとのいかなるやりとりが、その空間を、その人びとにとって代替不可能な価値ある「居場所」として成立させているのかについて、「ぷらほ」を事例に研究したものである。
■「居場所」の教育社会学は、これまで、それが有する意義を次のように記述してきた。すなわち、流動化し不安定化した現代社会にあって、人びと、とりわけ若者たちの間で、存在論的不安が今までになく昂進し、中にはそのアイデンティティを損なわれる者たち――「不登校」「ひきこもり」「ニート」などはその典型例――も生まれてくる。「居場所」は彼らに帰属先を与え、そこでの試行錯誤を通じて創傷した自己を回復できるような、現代社会のアジールだというもの。
■例えば、「不登校」を扱う先行研究は、「居場所」の意義を、「不登校者の自分」というものを否定的に捉えてきた人びとが、そこでのさまざまな語りを通じて、それを肯定的なものへと書き換えることができる点に見出してきた。とはいうものの、それらは決して「居場所」の日常風景ではありえない。実際、そこではむしろ、「不登校」「ひきこもり」など、それぞれの体験に関する語りは相互行為を通じて周到に回避されている。「パッシング・ケア」と呼ばれる振る舞いだ。
■体験をめぐる語り――自身を「不登校」「ひきこもり」などとカテゴリー化して相手に示す語り――は、それが辛く苦しい体験を思い出させるからというよりは、それが「居場所」を利用する人びとを「当事者アイデンティティ」へと閉じ込めがちであるために回避されるべき、と「ぷらほ」では考えられている。背景にあるのは、多元的自己を積極評価する価値前提だ。この現場発の知見を、ぜひ研究者たちのコミュニケーション空間に届けてこようと思う。*1

*1:『ぷらっとほーむ通信』089号(2010年9月)