『イスラーム教「異端」と「正統」の思想史』

イスラーム教 「異端」と「正統」の思想史 (講談社選書メチエ)

イスラーム教 「異端」と「正統」の思想史 (講談社選書メチエ)

■読了文献。3冊目。菊地達也『イスラーム教「異端」と「正統」の思想史』。世界三大宗教の一つ、イスラーム預言者アブラハムの伝統を継承すると称する中東起源の三つの啓示宗教の一つ(他はユダヤ教キリスト教)で、セム的一神教と呼ばれる。その共通前提は「唯一神/その神が預言者に下す啓示と啓典/神が人間に下す戒律/一度限りの創造と終末、終末後に訪れる永遠の来世」である。イスラームとは七世紀のメッカ商人、クライシュ族ハーシム家ムハンマド唯一神アッラーの遣わした最後の預言者と考え、彼が授けられた啓示(それをまとめたものが啓典クルアーン)に従う人びとの信仰を指す。一般に、民族の枠を超えた普遍性を獲得した宗教のことを世界宗教と呼ぶが、それらはその伝播の過程で、思想や教義を多様化、複線化させていく。イスラームも同様だ。一一億もの信徒を抱えていると言われるイスラームには、現在、スンナ派(多数派)とシーア派(少数派)という二大宗派が存在する。本書は、このスンナ派シーア派という二大宗派の棲み分けの構図が歴史的にどのように生成してきたのかを明らかにすべく、預言者ムハンマドの死(六三二)からイスラームの古典的形態が整う一一世紀ごろまでの両者の対立・抗争史を、シーア派の視点から描き出した「イスラーム成立過程」の思想史である。著者は、天童市出身の若手イスラーム史研究者。本書の面白さは、啓典宗教につきものの「正統/異端」というテーマに、従来とは異なる角度から迫った点にある。専ら西欧中世のカトリック教会をモデルケースとして考察されてきた従来の研究は、西欧中世の特殊事情――国家(政治領域)と教会(宗教領域)の分離――をも無自覚に普遍化してきた(その結果、「正統/異端」問題は単なる教義対立、「異端」は「バランスを欠いた極端派」として描かれることになった)。初期イスラーム思想史における両者の混交を見るとその特殊性が浮き彫りになる。当然、イスラーム史の観点からは、「正統/異端」のありようも変わってくる。すなわち、宗教共同体の内部で多様化した教義や思想のうちの特定のものが権力と結びついたとき、そこに、自派を「正統」として制度化し、他派を「異端」として排撃するメカニズムが発動する、というように。グローバル化が進み、明治期以来の「脱亜入欧」路線の修正を余儀なくされる現代日本。知らぬ間に染みついたキリスト教的西欧の思考法を相対化するために、イスラーム的中東の歴史や文化を学んでみる。本書はその優れた導きの書である。