「ぷらほ」の学びの方法論 その3

■「ぷらほ」の学びに固有の方法とは何であるか。前々回から前回にかけて、第一に留意すべきは、学ぼうとするその人たちの自由な語りを保障すること、それが達成できたとき、次に気をつけるべきは、彼らに自らの「不足」や「狭さ」に直面してもらうことだ、と書いた。人が真に学びに動機づけられることがあるとすれば、それはその人が心の底から自らの「未熟」や「限界」を痛感し、それらを乗り越えようとする場合をおいて他にないと考えるためである。
■学びの場づくりの実践事例について説明する場面などがあると、よく「「ぷらほ」のメンバーの人たちは勉強熱心だね」などの感想をいただくが、それは彼(女)らが元来特別勉強熱心な人たちであったからというわけではない。もちろん彼(女)らの根底の部分での熱心さや真面目さそれ自体は否定しないが、それを増幅し、促進し、活性化させているしかけや工夫がある。そこにこそ着目してほしい。では、そうしたしかけの第三のものとは、果たして何であろうか。
■第三は、「目からウロコ!」の体験機会の提供である。これまで見えていたものごとが、視点をかえるとまるで違う何かとして見えるようになる瞬間がある。そのとき私たちは、それまで生きていた意味世界の綻びや裂け目に気づき、その先にある世界に開かれる。今まで全体だと思っていたことが実は部分に過ぎなかった、という体験。そこには、人を動機づける強烈な知的快楽がある。しかもその相対化を繰り返すことで、私たちは成熟の感覚をも手に入れることができる。
■学問や専門知というのは、世界や社会を任意の一視点から論理的に記述していく営みであるため、私たちが知らずに染まっている世間的な「当たり前」や「ふつう」を相対化し「目からウロコ!」を体感できるツールとしては最適である。そうした専門知の中でも、比較的私たちの日常と連続していて入りやすく、そうであるがゆえに、視点をずらしたときのものの見えかたの違いや落差を強く味わえるのが、社会学という学問である。私たちが社会学を好む理由がこれだ。
■先頃あるメンバーから相談を受けた。うまく人とコミュニケーションできず悩んでいる、とのこと。聞けば、話題が続かないという。相手と共通の話題をつくり出せないのは、相手の社会的な文脈を読む力がないのと、自分を社会的な文脈に位置づけできていないためである。社会的文脈に対する鈍感さ。それを克服するには、社会学的想像力のトレーニングが最適である。ということで「社会学ゼミ」を開始することにした。興味のある方はお問い合わせ下さい。*1

*1:『ぷらっとほーむ通信』079号(2009年11月)