「ぷらほ」の学びの方法論 その2

■「ぷらほ」の学びに固有の方法とは何であるか。前回はそれを、自由な語りの保障、ということのうちに見た。メディアによる刷り込みや教育を通じた想像力の去勢、同質的集団の内部で作用する同調圧力などにより、私たちはふだん、自らのうちに芽生えた違和感や疑問をなかなかうまく口にできない。だからこそ、その人が自由に語れる場や機会を保障してやることが重要だ。そうやって彼が自由に語り始めることが、私たちの学び支援における第一の到達目標となる。
■では、第二段階とは何か。彼が自由に語り始めたとして、彼の語る内容そのものには、残念ながらそれほどの価値はない。彼が生きる彼特有の現実やその意味世界固有の論理には、確かに興味深い内容も含まれてはいようが、情報の更新が乏しければ、いずれ遠くない将来に飽きられる。つまり、あなたが語りうる内容になど、大した面白みもなければ価値もない。彼に、この酷薄な事実に気づき、自らの小ささや惨めさを認めてもらうこと。これが第二段階の課題となる。
■こんなことを言うと、「あなたはあなたのままでいいんだよ」を金科玉条とするカウンセリング系の人びとからは眉をしかめられるかもしれない。もちろん私たちも、誰しもが存在を認められ、社会のなかに居場所を見つけ、そこに包摂されるべきだと思う。だが、もし彼がこれまでの自分を変えたり、新たな何かを身につけたりしたいと思うのであれば、彼は「そのままでいいんだよ」に安住すべきではなかろう。当然、支援者もそこを見過ごすべきではない。
■昨年度の「社会ゼミ」「戦争ゼミ」然り、今年度の「NPO・市民活動入門ゼミ」然り、私たち「ぷらほ」が主宰する学びの場は、正直言って、初心者にはかなり過酷である。頻繁にゼミ報告の担当が回ってくるし、そうなれば、事前の文献購読と書評執筆とが課題として課せられる。隔週ペースの開催ではあるが、大概は複数のゼミが同時に並行して進んでいるため、最低でも週に一冊くらいは読まないと間に合わない。そこでは、あなたはあなたのままではいられない。
■かくも厳しい学びの過程に、それでも参加し続けるとすれば、そこにはかなり明確な目的意識――今のままだとまずい! 学ばなければ!――が必要となろう。私たちが重視するのもそこで、いかにこれを醸成するかに尽きる。さて、そこで先の「自分の小ささや惨めさ」である。己の未熟を徹底的に痛感したときにこそ、その人のなかに向上や成熟への確かな動機が生まれうる。これが私たちの揺るがぬ確信だ。「負け」を認めよ、すべてはそこから始まるのである。*1

*1:『ぷらっとほーむ通信』078号(2009年10月)