「ぷらほ」の学びの方法論 その1

■「ぷらほ」では、これまでに、さまざまなやりかたで若年の学び支援の事業に取り組んできた。最近では、外部の方がたにより取り組みの独自の価値や意義を評価していただく場面も増え、その中で「もっと積極的に情報を発信したら?」とのアドバイスなどをいただくことも多くなってきた。なるほど、と思ったので、自分たちの取り組んでいる「学びの場づくり」の手法・発想の独自性やユニークさがどこにあるのか、改めて考えてみることにした。
■はじめに明示する必要があるのは、私たちの学びのミッションである。私たちは、その「学びの場づくり」の取り組みを通して、いったいどのような人間を育てたいと考えているか。一言でいうと、「主体的にものを考え、行動できる人間」という感じだろうか。少しだけ丁寧に言い換えるなら、社会的な課題や問題の存在に気づくことのできる感受性を備え、それを自分(たち)の問題として思考し、その解決のためにコストをかけて行動できる人間、ということになる。
■では、そのために何が必要か。前提にあるのは、私たちの大半が、社会的な力の働きにより、社会との自由なつながりかたを禁じられ、特定の決められたやりかたでしか付き合えなくされている、という認識だ。物理的にというよりは、精神的にである。「おまえには(決まったやりかた以外では)何もできない」との規範が強く内面化されているために、私たちは「自分が何かをなしうる」と信じてやることができない。まずはその呪縛をリセットする必要がある。
■そのために取り組んでいるのが、「思いの言語化」というワークだ。簡単に言えば、自分の思っていること、感じていること、考えていることを、自由に口にできる空間をつくるということだ。「空気読め(KY)」という低劣な恫喝の流行語化などに顕著なように、私たちの多くは、自由な発想や見解の表出を日常的に抑圧されている。ワークでは、この抑圧を解く。自分の口にしたことがバカにされない、という体験は、まず私たちに自由な思考の基礎を回復させてくれる。
■だが、誰もが「思い」を表出するだけでは、相対主義の泥沼と強い者の専制が待っているだけだ。よって次に必要なのはコミュニケーションの質の保障、そのための表現のトレーニングである。ワークでは、言語化した「思い」を他者に向けて――口頭/文章で――伝えるという場面を積極的に設定し、場数をこなさせる。文脈の異なる相手を言葉で説得するには、相応の理屈や説得力が必要。これが論理的思考の訓練となる。手短だが、これが私たちの方法である。*1

*1:『ぷらっとほーむ通信』077号(2009年9月)