「教養」をインストール。

■08年7月より、「やまがた社会貢献基金」の助成を受けて、毎週金曜夜に開催してきた「社会ゼミ」(当初の「金曜ゼミ」を途中で改称)が、12月27日の第22回目をもって終了となった。「社会ゼミ」とは、毎回発表担当を立て、彼(女)に、「社会のありよう」を扱った面白い文献の紹介という形で発表をしてもらい、それをネタに、参加者みんなでディスカッションを行うという、参加型の学びの場である。延べ参加者数は179名、紹介冊数は45冊にのぼる。
■最終回の終了後、常連参加者による振り返りを行った。そこでの声をいくつか紹介したい。まずは、これまで全くといっていいほど本を読んでこなかったというKさん(30代)の言葉。「ゼミでいろんな社会的なテーマやそれについて書かれた本の紹介を聞いて、自分の関心領域や意識する世界が広がった気がする。これまではもっぱら雑誌やCDが目的で立ち寄っていた書店だが、最近では、人文書や新書など、いろんな棚を見て回るようになった」とのこと。
■あるいは、これまでも本は読んでいたというSさん(20代)の言葉。「ゼミ参加で読む冊数が増え、知識の蓄積を実感できた。ゼミ開始当初に読んだある文献を、半年後にもう一度読んでみたところ、理解度が格段に上がっていた」という。また、「ただ字面を追って雰囲気的にわかった気になっただけでは、ゼミ報告でうまく人に伝えられない。最初に失敗してわかった。一度自分のなかに落とし込まないとダメ。理解できていない言葉を使うのは無責任」と気づいたそうだ。
■さらには、これまでは読んだ本の著者の言葉を鵜呑みにしていたというYさん(20代)の言葉。ゼミでは参加者それぞれにテーマを設定して、それに即した文献を読んでいったのだが、そういう(同じ題材を扱う複数の著者の本を読むという)経験をゼミでもてたおかげで、「本の内容を鵜呑みにしちゃいけないんだと実感できた」のだという。同じ素材が、論者によって全く別ものとして評価されているという実例を目の当たりにして、初めてそれに気づけたのだそうだ。
■Kさんの「世界の拡大」、Sさんの「言葉への感度」、Yさんの「活字リテラシー」、これらは、一般に「教養」と呼ばれるものと重なる。「教養」とは、文献を介して異文化に出会い、自文化とは異なる価値基準やものさしを自分の中にインストールするということ。それにより、未知の存在に遭遇したときにそれが他者であると気づき、謙虚の構えでリスクにいち早く対処できるということである。あなたたちは、新しい武器を手にしたのだ。「教養」という武器を。*1

*1:『ぷらっとほーむ通信』069号(2009年1月)